わたしの中のわたしは、 わたしじゃない
わたしの中では、自分は圧倒的に近しい他人のように考えている。
わたしは他人。
だから自分で自分を無視したり、無理やり仕事させたりするとストレスがたまる。
「自分のことを知らずに他人を知れない」理由もそういうことだろう。
昨年末からの働かない生活の中でわたしは、たくさんのことをわたしと共にやってきた。
わたしが感じていること、考えていることをよく聞いた。
この半年のわたしとの静かな生活は、わたしとわたしとの距離を縮めた。
ランニングの途中、わたしがどの坂を登ればもっと喜ぶか提案ができるようになった。
今までは気持ちを伝える声が小さかったり、思考は濁流のように複雑で手が付けられないという状態で、わたしのことを知ることは他人の心を読むように難しかった。
わたしと他人の区別がわかりやすくなった。
同じように他人。
わたしも他人も、分からないことは分からない。
感じたこと、耳に聞こえたこと、目に見えたこと。
それに意味を与えなければ、それは正しい。
わたしに対する態度も他人に対する態度もそこは同じでいいと分かった。
今日はここまで。
まだまだわたしの謎は解ききれない。
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