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学校が求める「いい子」の人生

私は大学に入ってから強く思ったことがあります。それは、これまでの人生で正義だと思っていた「いい子」のあり方は先の人生を生きにくくしてしまうのではないかということです。

私は小さい頃から「いい子」だと褒められてきました。騒いだり悪さしたりすることなく、人の話をよく聞いて正しいことをするという本当に真面目な子供でした。

学校に上がってからも真面目さは相変わらずで、小中高で先生に怒られた記憶はほぼありません。

そのため学校において私の評価は非常に高かったように感じています。事実学校では周りからの推薦で学級委員長や生徒会長をやることが多く、私は何かと頼りにされる人間でした。

その後受験勉強を頑張り、無事現在の大学に合格しました。そして就職活動も終わり大学生活の終盤を迎えています。

一見するとそれなりにうまく人生を歩んできたようにみえますが、私はある部分で苦しんできました。いくつか例を挙げます。

私は誰かとお付き合いしたことがありません。誰かを好きになったことが無いわけではありませんが、仮に好きになったとしても自分から行動していくことを物凄く恐れていたため、22歳になりますがお付き合いはおろか、告白をした事もありません。

就職活動では誰かを頼ることに強く抵抗がありました。対面で面接練習をしたりすることはありませんでしたし、OB訪問は非常に消極的でした。やった方が良いのは分かるのですが、自分の欠点を思い知らされることなどに強い恐怖を抱き、それなら自分1人で何とかしていく方がマシだと思っていました。

この2つの例で共通しているのは「失敗を恐れて行動できない」という点です。

普通に学校で生活するだけなら、目の前のことに真面目に取り組むだけで評価されていきます。しかし1人の人生という視点で考えると、行動できないことは大きな痛手だと言えます。

私の価値観の大部分はこの学校が求める「いい子」が正義であるという点に基づいています。なぜならその価値観で成功を掴んできたという自負があるからです。だから失敗は悪であり、失敗するくらいなら避けたいという選択を取ります。

その結果学校の外において、行動が正義だというところと大きなギャップを抱えてしまいます。本来であれば順応すべきですが、正直私には乗り越えられませんでした。

結果的に学校で上手くいっていても、人生で上手くいかないという状況に陥ることになります。

ただこうしたジレンマを無くすためには、行動して成功体験を積むしかありません。行動がとても怖いという気持ちを頑張って乗り越える必要はありますが、乗り越えて成功できればそのハードルは下がっていくでしょう。

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初めからチャレンジャーになれたなら

しかし正直私にとってこの方法はとても辛いものです。ある程度価値観が固まった後で真逆のことをやるのは、頭で分かっていても体が動きません。こういった人は少なからずいるのではないでしょうか。

そしてこう思うのです。
「小さい時に失敗をたくさん経験しておくべきだった…」

だからこそ私は学校における「いい子」と人生における「いい子」を一致させていくべきだと思います。つまり義務教育などの段階で失敗を恐れない価値観を形成させるべきだということです。

どんな失敗でも周りの人みんなで称える雰囲気が生まれるようになれば、失敗に対しての考え方も変わってくるのではないでしょうか。自分の欠点を出すことを良しとする文化に小さい頃から触れておくことで、その後の人生における気の持ちようが変わってくると思います。

必ずしも真面目さが悪いと言っている訳ではありません。悪いことは悪いと指摘することは必要です。しかし求められることを当たり前にこなすことと同じくらい、自分から行動していくことを大きく評価することが今後より重要になるのではないかと思います。

人の価値観は簡単には変えられません。だからこそ良い価値観を子供のうちに身に付けられるかどうかに焦点を当てることが、その後の何十年にも渡る人生を豊かにすることに繋がるのではないでしょうか。

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