【雑記】一部とか全部とかせめてあなたの中ではとか
最近、だれかにわたしのことをたくさん話したとしても わたしの全部を知ってもらえることなんかなくて、てか知られても困るってことに気づいた。だってそんな綺麗じゃないし。
自分のこと知ってほしくて一生懸命喋るんだけど、それは見せたい部分だけ。ずるいなと思う。
でも自分がそうであるように、他の人たちもたぶんそうで。
わたしがそのひとのこと知ったつもりになっても、知らない部分なんか無限にあって、それを掌握しようとすることはナンセンス。(したいとも思わないけど。いまはね。)
むしろきれいな部分だけ見せてもらえたほうが勝手に期待して勝手にがっかりするよりいいのかも、と思ったり。
B'zの『イチブトゼンブ』ってまさにこのことだったのか……!と感動してる。当時は小学生だったから何にも分かってなかったなあ。いま結構わかったような気がして人生のレベルアップできた気がする。
実情は伴ってないけどねーー!
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主宰する演劇ユニット ヒミツミの第1回公演『熊野/班女』の稽古期間中に、こんなことを思った。
物理的なことも含めてなんですが。わたしには粗がいっぱいあって、それらは近寄られたら誤魔化しきれない。
人の心にきれいな思い出として存在するためには距離があった方がいいこともある、と苦い記憶を引き合いに出しては確信している。
……B'zの『BURN ‐フメツノフェイス‐』を思い出した。(昔化粧品のCMだったやつですよ!若い子は知らないかもしれないけどね……)
そう、こういう欲望がある。私にも。分不相応だけど。
人にはなるべく綺麗なところだけ覚えていてほしいんだけど、特に好意的に思っているひとには近寄ってしまうのが人の性だし、そうすると手の内を明かささざるを得なくなって、ときに恥部が露呈する。
人と関係を結ぶって難しいね、とちゃんと思う。日々、いろんな人と関わって、その全てと関係を繋ぎ止めておくことは不可能だということは残念ながらもう経験でわからされてる。
でもいつか必要なときにはまた繋がれるものだし、繋がっているという事実のために繋がりを維持しようと躍起になるよりも、必要であるから自然と繋がりが途切れていなかったという方が理にかなう。
なんだかそんなことを考えていますという近況報告でした。
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