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【観劇レポート】2020/02/11 鮭スペアレ『リヤ王』

鮭スペアレの方々とは、昨年12月の八王子学生演劇祭に出演者として参加したときに知り合った。演出の中込遊里さんと、アドバイザー的立ち位置だった清水いつ鹿さん葵さん。お三方とも作品創りにおいて頼りになって、休憩時間のお喋りでも楽しく素敵なお姉さんたちだった。

そして八王子学生演劇祭では私と同じく出演者として参加していた若尾颯太くん。常に進もうとする努力家で、年下ながらとても尊敬できる人。

本当は、知り合いだからとか人となりはどうかなんてことは作品の良し悪しには関係ないんだけど。でも作品の見方として、今までに関わった人たちが創る世界というのはやっぱり格別なものがある。

彼らの一個人としての素の側面と、以前関わった時の印象、そして今ここで舞台上に現れた姿。これらが多層的に観客席にいる私に働きかける。これは作品の外での交流があったからこそ得られた感覚、というのが今回の新発見でもあった。


さて、今回の題材である『リヤ王』、実は観たことがなかったし読んだことがあったかも定かではないため、固定観念のない状態で観ましたが、この上演が私のほぼ初めての『リヤ王』の印象となったのが非常に嬉しく思えるほど、素晴らしい作品でした。

シェイクスピアの四大悲劇の一つであるからには悲惨な話なのですが、それを能舞台に乗せて、鮭スペアレならではの料理でこの世に蘇らせることで、悲惨さだけではなくて独自性や繊細さを併せ持つ貴重なものを見せていただきました。

様々な抑制があるからこそ、人の心の機微をより細かく見ることができて、登場人物の姿を痛ましくも愛しくも思う。シェイクスピアが現在も愛され続けているのは普遍性があるからなんて手垢のついた言い方ですが、それをひしひしと感じさせられました。


物語の本筋に関しては博識な読者様方には言うまでもないと思うので、今回の上演で特筆すべきと思った点を以下にいくつか書き出します。


最も印象深いのは、「触れない」ということが非常に効果的に作用していたこと。

役者同士、距離のある場所からキスしたり、向き合うことなく目玉を抉り取ったりという場面に見られる、本当なら絶対に接触しなければ不可能なことを、そうしないことで生まれる色気は凄まじい。実際に触れる以上の緊張や昂りを感じました。


阿呆役の一瀬唯さん、バレエの動きで存在感を発揮していましたが、実は私は彼女に八王子学生演劇祭のWSで一度会ったことがあります。そのときに彼女の表現を見せてもらって、「自分の身体が自在に操れるということは、様々なことから自由になれるということだ」と改めて感じたのですが、また見ることができるとは。劇にスパイスを加えるような役割を果たしていて、素敵でした。


あと、絶対に外せないのが音楽。

生演奏で、舞台後方には一見能舞台には似つかわしくない楽器も並んでいるのですが、この異質なもの同士の相乗効果は想像以上です。世界には色んな音が溢れていて、その中から何を選び取るかによって全く違う印象を与える。この作品での答えはこれなのか、と納得する。

また、決して観客の感情をむやみに誘導するための音ではないのにも好感を持ちました。全体を通して言えることですが、観客に分からせてあげる、という感じはせず、観客を信頼して一緒に物語の世界を進んでいるという印象を受けたのがこの作品の誠実さの表れ。


他にも、ジェンダーフリーのキャスティングによる世界の広がりや、何色にも染まる白い衣裳の人間の美しさ、能の要素がもたらす厳かさとこの戯曲の持つ「老い」のテーマの帯びる切なさの適合とか、数えきれないほどの魅力があって、人間が苦悩したり開き直ったり運命を受け入れたりながら生きていることの尊さを感じました。演出の遊里さんは、演出を見ててもお話してても人間の存在を丸ごと愛しているんだな、と思います。もちろん周りの仲間たちも同じく、そういう素敵な人たちが集まっているのでしょう。


こんな素晴らしい作品をたった二日間しかやらないのもったいない…。でもこの儚さも舞台の醍醐味だということですね。


この上演に関して、以下のブログの指摘が的確で分かりやすかったのでこちらも読んでみてください。





おまけ

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