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どうしようもない悲しみの中でも生ける人:劇団桟敷童子『泳ぐ機関車』(2015年)

2017年8月7日放送、NHKプレミアムステージの後半で放送された、劇団桟敷童子公演『泳ぐ機関車』を観ました。これも録画したきり観てなくてやっと観たやつ。我が家のHDDは本でいうところの積読みたいになってる。

演劇を演劇たらしめるのはライブであるということだし、前回のnoteでも私は舞台映像じゃ満足できなくなってしまった旨を書きました。ただし、外出自粛要請が出されているような今のご時勢、家で動画配信サービスやDVDで舞台を観賞するしかない。こういったときの家での過ごし方として、舞台観賞がもっと多くの人に選択されて、事態が収まったら劇場にしかない演劇の良さを味わいたいと思う人が増えてほしいものです。


さて、本題に戻ります。劇団桟敷童子は、大学の同級生がおすすめしてくれたこともあったので期待はしていたのですが、それを上回る感動をくれた『泳ぐ機関車』。

エンタメ特化型情報メディアSPICEの記事より、あらすじを引用します。 https://spice.eplus.jp/articles/53763

<ストーリー>
筑豊のある町、石炭隆盛の頃。小ヤマ炭鉱主の子供である小学生の三好ハジメ。父親は一代で炭鉱主になった町の名物男の三好辰介。辰介は炭鉱夫達にも慕われる頼もしい男。妻を早くに亡くした辰介の悩みは、年頃になった二人の娘の千鶴と美代の事…そして気が弱くおとなしいハジメの事である。そんな彼らを囲むのは荒くれで一癖もある炭鉱夫達。炭鉱主である父親は着実に会社を大きくしてゆく。ところが、順風満帆に思われた生活が、炭坑の落盤事故で一変した。


私はこの作品を観て、運命に翻弄され、厳しさや悲しさの渦中に巻き込まれたとしても、生きていく決意をした人間の強さと美しさを目の当たりにしました。


私が感じた本作の魅力を3つのポイントに分けてご紹介します。

①大迫力の大道具

演劇は、大掛かりなセットが無くても観客の想像力を借りればどこでも出来るという向きはありますが、これほどまでに舞台美術がものを言うのかと感じさせられるほどの舞台でした。しかもこれを役者が作っているというから驚き。基本の精巧なセットと、ラストシーンで大胆に出現する向日葵や機関車というハジメにとっての希望の象徴に目を奪われます。一切妥協しない姿勢が見て取れ、感嘆しかありません。

②演技の安定感

博多弁の台詞や、日常の会話の軽快なテンポが小気味良く、激情もあくまでも自然で感情移入させられる。舞台上の世界があたかも本当にここに存在していると思ってしまうような、愛しい登場人物たちを、それぞれの俳優が魅力的に演じていました。

もちろんキャラクターとして横暴だったり、理不尽な人間もそこには存在しているのですが、それさえも現実世界の縮図として切なく心を動かす要素のひとつ。

舞台上にそのキャラクターたちを存在させるという力強い執念を感じる俳優陣は見事です。

③現実を直視し、希望を見出す物語

運命に翻弄される家族。絶望に打ちひしがれて死んでいったり、強く生きることを決意したり、それぞれの精一杯を全うするほかない人生。

現実とはそんなもので、自分で道を選んでいるようで実は自分にはどうしようもない運命のレールの上を走っているだけなのかもしれない。

ただしその中で僅かな希望を掴もうともがく人間は美しいし、その末に圧力に殺される形で自らの命を終えてもその人が懸命に生きていたという事実は変わらない。

そんなことを考えさせられる脚本でした。決して現実を都合良く歪めて物語に落とし込むようなことはせず、困難を背負う人間をまるごと鼓舞してくれるような作品。劇場で観ることができていたら、多分その温もりに泣いてしまったと思う。


最後に印象的だったシーンについて。私は夜更かしをしていたハジメを発見し、父が叱りつけるシーンが最も深く心に刻まれたと思う。

要約ではありますが、「炭鉱夫は厳しい仕事を夜遅くまでやっているのに山主の息子が遊び呆けるな」「自分たちの暮らしは炭鉱夫の苦しみの上に成り立っている」と言う父。

程度の差こそあれ、私もきっと誰かの苦しみを踏みにじりながら生きている。そして私の悲しみを誰かが踏み鳴らしながら暮らしている。それを忘れてはいけないよと言われている気がした。


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