過信は災いの始まり

「何を遺したか?」

さぁ、最初の営業日が近づいてきました。

準備をアレコレしていたら、その日まではあっという間。気づけば、初日を迎えていました。

具体的に何をしていたか?

・名刺の作成

・設備投資

・お金まわり

・保健所関連の確認

・ビジョンの設定(前回の記事を参考に)↓

とにかく色々やっていました。もう挙げきれないです。

でも、「なんとかなるんじゃね?」という僕の大好きなモンブランのように甘ーい考えをしてしまっていたのも確か。なぜかというと、「学生で起業した」という、人とは違うことをしたことに、自信を持てていたから。

でも、今考えればこれは

「口だけ達者な、何もしない人」

「ブランド品で外面を繕い、自分を隠そうとする人」

「みんなと少しだけ違うことをしたい時期のこども」

と同じでした。つまり、行動ができない、もしくは行動にクオリティが伴っていない、薄っぺらい人と同じです。名ばかりとも呼べるかもしれません。

重要なのは、「起業した事実ではなく、それを通して何をしたか」ですよね。言い換えれば、社会に対し、何をして、誰に、どういった影響を与えたか?です。

だから、影響を与えるために、全力で走り抜いてきた。とにかくやれることはやってきた。でも、まだまだできる。

正直、悔いが残っているか?と聞かれれば、今の答えはYES。それを、なるべくNOに近づけるために、残りの期間を走り切ります。

「何をするか」ではなく、「何を遺せるか」

違いを生み出すことは、「何かをしたこと」かもしれませんが、それによって何かを遺す事の方が、大事である。言い方を変えれば、「結果を残せ」と言うことです。

起業する前までは、「自分は少し違うなぁ」くらいにしか思っていませんでした。それが、ワーホリや起業の経験、つまり「したこと」によって、その「違っているなぁ」が、「俺って周りと違いてすごい!」にすり替わっていました。

ここで、すっごい当たり前のことを言います。

自分が周りと違うことをしているからといって、人より価値があるわけではない。みんな違ってみんな良い。

これが今の結論です。

だから、周りが何をしてようが、どんな活躍をしてようが、関係ない。

そうすると、

・まだまだ自分の人生をよくすることが出来そう。

・もっと、大きなことが出来そう。

・誰かにとっては特別な存在になれそう。

など、これからの自分に、ワクワクできる。

過信することこそ、自分の可能性を狭める一番の障害となりうる。

常に、今を生きろ、謙虚であれ。

言い尽くされたことを、改めて大事にしながら生きようと思います。


エンジニアリングとコーヒーをこよなく愛する新米エンジニア 夢は、「世代を超えて、それぞれの幸せを追求できる社会を創造する」こと エンジニアだけどコーヒーを上手に淹れます。 頂いたサポートは、より良いnoteの記事を生み出すために使っていきます。