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死ぬまで一生愛されてると

こんばんは。
ゆうです。ようでもいいです。

私は、クリープハイプの、
死ぬまで一生愛されてると思ってたよ
という歌詞が大好きです。

『愛の標識』という曲の中にあります。
曲自体は調べていただけると嬉しいです。

曲自体も好きなんですが、
それ以上に、その部分だけリピートする程、
この歌詞が好きです。

付き合っている時のいい意味での能天気さ、
別れた時の絶望感、
でも少しだけ優しさが残る語尾、
ちょっとだけ嫌味を込めて。

遠回しな嫌味だからこそ、
その後の、
「信じていたのに嘘だったんだね」
というストレートな歌詞が響く。

付き合っていれば誰しも、
この人とずっと一緒にいたいと
思うことがあるでしょう。

年齢にもよりますが、
「結婚しようね、ずっと一緒にいようね」
という若い約束をした方もいるのでは。

その時だけは、
死ぬまで一生愛されてると、
本気で思っていた。

私は、
死ぬまで一生愛してくれるでしょう?という、
傲慢なわがままが垣間見えることすらも、
愛おしいと思ってしまうタイプです。

そんなわがままや約束が、
現実にならないこともあると思いますし、
むしろその方が多いのが現実です。

でもきっと、
2人とも一生愛されていると思っていたし、
一生愛するつもりだったと思います。

その、
愛される、受け身の姿勢が、
慢心に感じられてしまったのでしょうか。

でも変ですよね。
一生愛するつもりだったならば、
受け身の姿勢だろうが変わらないはずです。

結局は人間、
見返りが必要なんですよね。
愛するから愛してよ!っていうやつです。

一生愛されるには、
何が必要なんでしょうか。

愛を与えること?
相手に価値を与えること?
もしかしたら他の好きな人をチラつかせること?

相手によって違うでしょう。
つまりは、
一生愛されるには、相手を知ることです。

相手が嬉しいこと、
相手が愛おしいと思うことを知り、
行動する。

ここで疑問が生じませんか?
一生愛されるためには、
結局与えるばかりじゃないか。
ここまでして愛される必要はあるのか。

結論ないです。
自分のしたくないことまで
する必要はないですし。

それでも、
死ぬまで一生愛されると、
愛されていたいと思った相手には、
どうにか愛されたい。

そういう矛盾だらけなのが、
恋愛なのでしょうね。

難しい。

では、今日はここら辺で。
またいつかどこかで。

サポートいただければ嬉しいです!