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年子3人絶賛子育て中。児童心理学/幼児教育コンサルタント。アメリカで児童心理学を学び、…

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年子3人絶賛子育て中。児童心理学/幼児教育コンサルタント。アメリカで児童心理学を学び、米国保育士資格を持つ。アメリカでは保育士として働き約10年の海外生活を経て、帰国後はプリスクールの開園から英語塾のトータルマネジメントを経験。現在は英語講師、子育てセミナー講師として活躍中。

最近の記事

ねぇ、先生。

図書券3千円分。 私は 自分の存在が情けなくて、申し訳なくて、両親に先生に叩かれ続けたことなんて言えなかった。 言ってなかったのに。 ある日、お友達と遊んで帰ってきた私は、唐突に両親から、担任に叩かれたあの鉛筆の日のことについて問い詰められた。両親の顔が恐くて見られなかった。 バレた。血の気が引いた。泣いて謝った。 ー あの日の私の謝罪は誰に対してだったのだろう。 翌日 担任は私を呼び出して両親宛に、と封筒を渡した。 怒りの手紙だったらどうしよう。隠れて中身

    • 口先女。

      下を向く小学3年生の私。 担任の女性教諭は吐き捨てた。 「この口先女」 忘れ物もよくした。算数が苦手で文章題のドリルの宿題はドリルを忘れたと言い訳して出さなかった。私以外の提出された文章題約30冊で思い切り殴られた。 そして、思い出したくなかったあの日。 隣に座っていた男の子は、その頃の私には理解しづらく苦手だった。テスト時間に筆箱を忘れたその子に鉛筆を貸すかどうかの分かれ道。周りに座っていた友人達が口を揃えて言う「貸さなくていいよ」 貸さなかった。テスト時間中ず

      • 私の材料。

        私の人生にはいくつもの分岐点があって、それらが自分をつくっている。 世間一般的に自分は「変わっている人」だということは何となく小さい頃からわかっていたように思う。今まで大勢の中に居ても違和感を感じる自分がいつも居て、身の振り方を考えて動いていた。幸い、表向きには受け入れやすい変わり者だったらしく、褒め称えられることも多かった。学生時代、なにかといえば代表、表彰。 優等生かと言われればそうだが、自分を優等生と思えたことはない。そこには何かわからないズレがあった。不良と呼ばれ

        • 記憶。

          Rachael Yamagataを聴くと思い出す あの橋の上 夜道照らす灯りの上にスローモーションで落ちてくる雪 車を走らせながら ただもうなにもかもがスローモーションで この景色だけは一生忘れない。 いつここを離れることになろうとも。 そう思っていた 目を閉じると確かに自分はあの瞬間の中に 生きていたんだと 今の目まぐるしい現実に 次々と忘れていく記憶 けれど私はあの場所であの瞬間を確かに生きていたんだ そのカケラで私は今を、生きる。

        ねぇ、先生。

          私を動かすもの。

          今日とてもとても書きたい衝動に駆られ、初めてブログというものと向き合う覚悟ができた、気がする。(後々、ブログが自分にとって義務になっては嫌だし、“書かない”選択肢も勿論自分に残しておくとしよう。) これまで自分の考えを人に公開することは、恥ずかしいことであり、そういうことで集客するメソッドに対して良くないイメージを持っていたし、何より自分の意見反対派からのバッシングに自分自身の心が耐えられると思っていなかった。 私は俗に言う、「常識人」を一生懸命演じて、なんとか人に好かれ

          私を動かすもの。