言葉の裏がバレるとき
自分のことをたまに悪意の塊だと思う。
思ったことない?
あら、そう。
どれくらいの悪意かといえば、アメリカンジョークみたいなもの。
京都人におけるお茶漬けみたいなもん。
相手を褒めながらけなすとか、皮肉をバレない程度に仕込むとかそんなもん。
馬鹿で鈍感な奴と話してる分には全くバレず、相手はニコニコしながら言葉を真に受けて聞いてくれる。
むしろ、喜んでまでくれる。
凄い。
人間に対する悪意を知らない生まれたてのアヒルの子みたいな。
全てを鵜呑みにする。
でも、時たまその悪意が見透かされることがある。
恐ろしいねぇ。
これは恐ろしいんだよ。
だって、バレることないように仕組んでるのに。
あるとき、チーモンチョーチュウの白井さんという芸人さんのインスタライブを見ていた。
白井さんはインスタライブがあまり分かっておらず、周りにいた呑み仲間に撮影させていた。
その撮影者はインカメラにしており、その撮影者と白井さんが映るようにしていた。
そして、その撮影者がコメントを読んで白井さんに伝える形をとっていた。
そこで、私は
「外カメラにすればコメント見やすいですよ。」
と送った。
側から見れば親切である。
すると、撮影者は
「外カメラにすればコメント見やすいんだ!外カメラってどうやってやるんだろう。」
と言った。
よし!そのまま外カメラにしろ!
しかし、そのとき白井さんが
「それって、〇〇(撮影者)が映るな!ってことじゃない?」
と発した。
はっ!!!!!!!
……バレた((((((ギク…ニヤ
まさかこんなにあっさり見透かされるとは思わなかった。
コメントを見る度にその撮影者が画面の半分以上を占めていた。
それがあまりにウザったくて、あまりにアホすぎると思った。
白井さんだけ映せばいいのにと。
それが一瞬にして、悪意を感じとったのである。
こわい。
彼もまた常に悪意の塊なんだろうと思った。
私の悪意に感づいている人間もいるんだろうけど、あんなにハッキリバッサリ言ってくる人間はいない。
言ったところでお互いにメリットがない。
バレたら止めるとかそういうこともない。
本質のわからない馬鹿と話しているのは楽だけど、分かってくれないことが淋しくて虚しくて虚無感がすごい。
言葉には必ず裏の本質があって、それを見極めて、ノッて返せる人と返せない人がいる。
返せる人は、私の悪意見抜く。
返せない人は、馬鹿みたいに鵜呑みにする。
個人的には悪意にはノッて返してほしいけどね。
お金よりもスキしてくれるとスキ