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イルミネーション、やってるらしいよ

202212032342

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街の様子がおかしいのだ。
こちらの通りには人っ子一人居ないのに、確かに遠くの方に人の騒めきがある。恐らくは四百や五百くらいの人数がひとところに拡散している気配がするのだが、歩けど歩けど誰も居ない。

ビル街を次々に抜けていくと、ビルの狭間に少し開けたところがあって、四十メートル四方の空間だけ木々に電飾が点いている。
なかなか見事だが誰も居ない。
と、ふと耳に入ってきた言葉が、
「イルミネーション、やってるらしいよ」。
ハッと気付いて耳を押さえて辺りをくるくる振り返るけれど、やっぱり誰も居ない。

仕方なしにそのまま何となく喧騒のする方へ、する方へと歩いて行くと、人っ子一人居ない道を土色の顔をした警備員が赤い非常灯に囲まれて守っている。
なるほど、交通規制をしているのだろう、と思って奥の様子を伺うと、確かに遠くの方にきらきらした光の集合体がある、ような気がする。気はするけれど何だか夢のような光景で、地面の下か、空気の上かを滑るように、騒めきだけが届くのである。
しかもその騒めきに身を任せていると、何だか身体が宙に浮くようで、眼球の奥に確かに光のきらきらした風景が霞んでは消え、霞んでは消える。
あれっと思って周囲を見ても、やっぱり変わらぬ藍色のビル街のガラスがどこまでも続くばかりで、いよいよ本当に心細くなってきた。

と、ガラスが不意にきらきらと瞬きしたように感じられて、じっと見ると、
ガラスの端の方に電飾の映り込みがきらきらしている。
何だ、やっぱりイルミネーションをやっているんじゃないか、とホッと一息ついて映り込んだ道の方を振り返ると、そこには藍色のビル壁が立ちはだかっていて、有るはずの通りは影も形もない。
何だかもう怖くなってきて、とりあえず引き返すのも嫌だからずんずん前に進む。
しかしどうやったってこのビル群を抜けられそうにないのだ。もうこの無限に続くビルの波を一時間は彷徨っている。

不意に目の前が開けて、二人連れ、三人連れの人たちが何組もこちらにそぞろ流れてきた。
彼らに「もしもし、イルミネーションはどちらですか」と聞こうと思うのだが、誰一人話しかけられる様子がない。
おまけに駅は確かに向こうだと思うのに、皆々何もないお堀の方へ向かって流れていく。
そうして、彼らの口からさざめくように「イルミネーション、やってるらしいよ」「らしいよ」と同じ声ばかり聞こえて通りに反響していくではないか。この声の一つがビルからビルへ屈折して先ほどの谷間に落ちてきたのに違いない。

漫然と彼らの行く末を眺めていると、遠くで警備員の何か言うのが聞こえる。
「イルミネーションをご覧の方は横断歩道をお渡りください」「お渡りください」
拡声器を使っているらしく、一度聞き取ると驚くほどよく聞こえた。

群衆は案外素直に横断歩道を渡っていく。
誰か一人くらい通りの写真を撮るために道を外れる人なんかが居ても良さそうなものだけど、皆々綺麗に横断歩道の側に寄ってすいすいすいすい流れていく。
だけれど待って、あんなところに横断歩道があったっけ。
来た道はビルで塞がれていた筈だけど。
あっと思う間もなく、横断歩道を渡り切った順に人々はぱちぱちと瞬きする様に光の粒になって、ふわふわと木々に吸い込まれていくではないか。

驚いて足を止めると、そこは大きな交差点の島に当たる部分で、自分が群衆の最後尾をふらふら付いていっていた事にようやく気が付いた。
信号は赤になってしまって、もう渡る事はできない。しかし向かいにはいつの間にかイルミネーションのきらきらした大通りが見える。
駅名を冠したレタリングの電飾が通りの最初に置いてあって、向こうには綺麗に飾り付けられたクリスマスツリー、現代美術らしい虹色のオブジェ、大きい石膏像の顔のようなもの、人間四人分くらいの大きさの寝転んだねぶた、さらには屋台になっているらしいガラスハウスが幾つも連なっているのが見えて、それはもう楽しげに笑いさざめく声が聞こえてくる。
イルミネーションの光は命のように一際あやしく瞬いて、思わず二度三度瞬きをした、
瞬間、
交差点の安全地帯も信号も警備員もみんな消え去って、目の前にはもう誰も居ない。
喧騒まで全く消え去って、後にはしん……とした夜の冷たい空気があるばかりなのである。

途方に暮れて左右を見ると、お洒落な店のショーウィンドウが幾つも幾つも繋がっていて、前のビル街は綺麗さっぱり無くなっていた。
仕方なしに誰も居ないショーウィンドウを一つ一つ冷やかして歩いて行くと、今度は千や二千の人々がさざめく「イルミネーション、やってるらしいよ」「らしいよ」という声がどこからか立ち昇って通りに充満してきた。
そのままいつまでも「イルミネーション、やってるらしいよ」「らしいよ」の声は拡散していき、辺りには確かにイルミネーションがある気配がひしひしと感じられる。声はどんどん増えていき、もはや耳を塞ぎたいくらい、心臓が悪くなるような圧迫感に包まれた。

恐ろしくなってショーウィンドウの一つを覗き込むと、
ガラスの向こうにできた道がきらきら輝きを増して、
何という事だろう、ショーウィンドウの向こう側で人々が楽しげにイルミネーションの中にいるのが見えた。

きらきらした通りを歩く女友達の後ろ二メートルを玄人らしい手付きで携帯を構えて付いていく女性がいて、
妙ちきりんなポーズで顔を寄せて自撮りしているアベックは三メートル置きに連なり、
クリスマスツリーの周囲には十四、五人が群がって顔を映したり通りを映したりシャッターを切っているし、
虹色の地球儀の様なオブジェの前でタイマー機能で写真を撮る七、八人組のカジュアルなジャンパー姿の男女もいる。
ガラスハウスの中のきらきらしたアクセサリーを覗き込む妙齢のカップルと、それをショーケースの中から見つめ返すテディベア、
寒かろうに中途半端な丈の靴下から素足を見せてぐるぐる巻きにマフラーを巻いた髪の毛の艶々した女子高生と、三角の靴底のスポーツスニーカーに手袋なしでブランドもののマフラーを凝った巻き方した男子高校生が手を繋いでいたり、
通りの外れたところの大きなビルの中の人間十人分の高さの白いクリスマスツリーの前でてっぺんの星を画角に入れようと携帯を上げ下げしている女性二人連れ、
三人がけのベンチにはどれも二人ずつ、一人と半分の面積で男女が身を寄せて座って何ごとか睦ごとを交わしているし、
通りから少し外れた広場スペースの植え込みの端々に、男女が二人ずつ座って、今日はこんなに冷えるのに、大して寒くもなさそうな顔でいつまでもそのまま座っている。

もう何だか頭がぼうっとしてきて、魅せられたように幾つものショーウィンドウを大急ぎで次々覗いては、イルミネーションの様子を写真に収めたが、あまりにガラスの中の人々が和気藹々と楽しそうでいつまでも出てくる気配がないので、痺れを切らしてひと足先に帰る事にした。
帰りも安全地帯を通って後はもう無我夢中に大通りへ出るように歩き回り、四十分後には何とか駅に着く事ができた。

帰りしな写真を見返すと、五枚に一枚くらいはどうもガラス越しでないように見える。
実際のところ自分でもどこをどうして撮ったものか記憶が定かでない。
ガラス越しでなさそうな写真を耳の傍にそっと持っていくと、「イルミネーション、やってるらしいよ」「らしいよ」とやっぱりどこからか声が聞こえた、ような気がした。
イルミネーション、やってるらしいよ。

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