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濁り水

202208291837

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地味な事務員がやや開脚気味に橋の端にしゃがみこみ、柱の隙間から水面を撮っている。会社での多少取り繕った仕草はどうしたのだ、と言いたくなるくらいみっともなく何をも気にかけない座り込みっぷり。折りしも雨が降り出した往来で片手に引っ掛けた傘は横転してゆらゆら、濡れるのも厭わず、向こうの橋を通りがかった電車の動画まで撮り始めた。まだ会社から徒歩三分も離れていない大通り、帰宅ラッシュのスーツ人間たちが行き交う。水面になど目もくれない。
「ここの運河、濁っていますよ」
声をかけてこちらを見上げた目の無心な様子。やや不気味な印象に気圧された。
「それに、雨も降っている」
そう呟くと、瞬きもせず、
「いいんですよ」
「濁った水ほどよく光るんです」
真顔でそう言い放ち、また水面に向き直った。
何か学術的な根拠でもあるのかと思ったが、考えてもそれらしい理由は思い浮かばない。照れ隠しの気まぐれだろうか。
何とはなしに水面に目をやると、濁った水の上を都会の色彩が光の雫のように幾つも滑っていくのが見えた。雨が降ると光がよく映るらしかった。
ああ、なるほどこの事か、と少し納得した。

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