4月27日(火)

10:00

今日は天気が良い。洗濯物を干した。9時半に起きて朝昼兼用の目玉焼きのせご飯を食べる。去年の鬱からずっと朝は起きれなくて旦那さんはひとりでご飯を食べて出勤。午後からはオンラインで趣味の集まり。夕飯はイワシの南蛮漬け。魚の南蛮漬けは面倒ではあるけれど美味しいから作ってしまう。それにイワシやアジはお手頃価格で店頭に並んでいるとつい買ってしまう。

今は鬱が明けて徐々に元気になっていくところ。躁に向かっているとも言う。ここ数年は躁と鬱の波が安定していて一年の三分の一ずつ、躁と鬱と普通の状態を過ごしている。2、3、4、5月は普通、6、7、8、9月は躁、10、11、12、1月が鬱。夏に躁になり、冬に鬱になり、春に元気になる。季節とともに生きている植物のよう。今年は鬱が長くて3月の半ばまで引きずった。4月の今も朝起きれないとかやる気が起きないとか鬱の名残を感じる。これに限っては躁鬱じゃなくてもあること。どうも何かにつけ、これは躁鬱だからやってしまうことなのかと考えてしまう。それが気になりすぎて動けなくなってしまうときもある。

今が鬱を引きずっているように感じるのは気をつけているからでもある。できる限り躁がひどくならないように。躁に怯えている。去年の躁も自分なりにはひどかったのでその後の鬱がつらかった。今まで尾を引いているのは躁の高さにも関係していると思う。なので今年は躁の高さを抑えるためにこの時期の過ごし方に気をつけることにした。その一つはこの日記かもしれない。


21:36

今夜はイワシの南蛮漬けにしようと思ってたけど面倒になってイワシの蒲焼丼にした。それだけだと寂しいからたまごのいりそぼろも乗せた。お味噌汁は豆乳のお味噌汁。寒い時期は豆乳の汁物が美味しい。ご飯が終わってひとり作業部屋に閉じこもる。電灯を消して手元灯だけつける。白檀のお香をつける。坂口恭平氏の躁鬱大学その6躁鬱人は麻薬は全くいらないの音声版を聞きながらブログを書いている。無茶苦茶なようだけど納得できる部分が多いな。自分ではずっと当たり前の感覚だったけどこれは躁鬱病(躁鬱人)の人だけの感覚だったんだね。全部じゃないけど共感することが多い。

夕方に今日は何もできてなかったと罪悪感に襲われる。自分はできていないと思うことが多い。これは自己肯定感の問題なのかもしれない。今日も何もできなかった。振り返ってみると洗濯物をして、午後からオンラインで趣味の集まりを開催、依頼を受けた郵送物を発送、洗濯物をたたんで、夕飯にイワシの蒲焼と炒り卵の丼と豆乳汁を作り片付けもする。振り返ってみると結構よくやっているなと思う。

ちょうど躁鬱大学の話しが終わり、坂口さんの歌声が聴こえてくる。今、聞いた話で躁鬱人は広くいろんなことをした方がいいとある。いろんなことに手を出しすぎてとっ散らかってしまうと嘆いていたけどそれは仕方のないことなのかな。諦めて受け入れて広く興味を持つことを楽しむのがいいのだと思う。だってそれが好きなんだもんね。



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