ゲーム日記①「7days to End with You」をプレイしたら物凄く後悔した話
やった。
簡単に説明すると、目覚めたら見知らぬ人の家で保護されていたので、謎の言語の意味を推測しながら7日間を過ごすゲーム。
謎の言語の意味にフリガナを与える専用のコマンドが存在して、例えば「正解」と「すごい」が同じ言葉に振られたルビとなり得るゲーム。百人やれば百通りの体験がそこに生まれるかもしれない。
とても面白いゲーム体験で胸に来たのと同時に、僕は凄く後悔もしている。以下ネタバレありで解説する。
プレイする前にこれを読むと、あなたもきっと後悔する。
以下ネタバレ(※篝火8をこれから見るつもりの方もご遠慮ください)
このゲームには以下のステップが存在している。
とにかく手あたり次第に指をさしてフリガナを書き連ねる段階。
ははーん、これはもしや○○に対応した謎言語なのだなとうすうす気づき始める段階。
○○と謎言語の対応表を自分で作成する段階。
対応表を駆使して謎言語を完全に解明する段階。
対応表を駆使して新聞に書かれた内容にまで理解を及ぼす段階。
物語の全体像を理解して、考察を巡らせる段階。
重要なのはこれらの手順が全てネットを介してスキップできるということ。
だから僕は後悔している。○○と○○の「○」の部分の対応から2番の段階までには至ったけれど、その後の手順は全部考察wikiから拝借した。
結果的に僕は物語に感動した。「良い」の意味だと思っていた言葉が実は「○○」で、彼女は彼との朝に○○を何度も口にしていたのもずるかった。僕が嫌になるほど見せられた第一エンドで彼女が涙を流す理由は胸を突いたし、第四エンドはよくある展開ではありつつ、僕はハッピーエンドに弱いので素直に素敵な結末だと思った。
と同時に今、こんな後悔が頭をよぎる。
もしも自力で対応表を作るほどにこのゲームにのめり込んでいたのなら、第四エンドはただのありがちなエンドにはけしてならなかったのだろうな。
唯一無二のゲームを得る機会を、僕はふいにしたことになる。
だから以下はすべて負け惜しみ。
このゲームを10倍楽しむことに失敗した男のひがみである。
確かに、ゲームの設計は完璧ではなかった。クリック連打すると文字表示が一部バグる操作性の悪さと、日付の途中でセーブができない再現性の悪さゆえに、僕は疲弊していた。第7日目の選択を間違えると7日間全てをバグりながら繰り返すゲーム体験はけして良いものではない。
もしかすると間違えた瞬間ゲームを再起動したら、7日目の朝からやり直せたのかもしれないが、深夜2時の疲れた頭に浮かんだのは、「そうだ攻略wiki見ちゃおう」というもっと簡単な方法だった。
誤解しないで欲しいのだけど、だからこのゲームは悪い、と言うつもりはない。ステップ1の段階は、見知らぬ土地に投げ込まれた体験を可愛い女の子と一緒に頭を悩ませながら(あるいは実際に頭の痛さを感じながら)堪能したし、あの○○の暗証やその先に待つ景色を僕はwikiなしで体験した。どうやら間違いないらしいフリガナをつけて夜の窓を見た時は切なかった。分からない、あるいは間違ったルビをつけた言葉の断片から真相がなんとなく分かって来た瞬間のゾワゾワ感は忘れられない。とても素晴らしいゲームだと思う。
ただどうしてもエンディングの突破方だけが分からなかった。
悪いのは甘えた僕のやり方であり、そういえば篝火のリプレイはどっちが勝つか先に確認してから見る癖があるし、小学生の頃の算数ドリルも分かんない時は最終ページの答えをよくカンニングした。
けれども一方で、一番僕の心が盛り上がったのは、シークバーが存在しない生放送の篝火8Loosers Finalだ。ストック3-1、会場の波も完全にメタナイトに奪われた状況からピクミン&オリマーが薙ぎ払うその様に心を奪われた。どちらに転ぶか完全に分からないその後の試合展開を固唾をのんで見守った。それはとても良い体験だった。
だからネタバレなんて見なければ良いと言う指摘はもっともだ。でも「できる手段」を取らないのはただの縛りプレイだというのはあなたにも違和感のない言葉じゃないだろうか。あえて楽しむためにそれを選択する、いわば裏択なのである、とまで言うのは傲慢な気もするけど。
ともかくネタバレないし攻略wikiは現代に生きる僕たちの前に提示された、誘惑に満ちた選択肢なのである。そして時にそれは好むと好まざるとにかかわらず僕らの記憶を侵害する。youtubeのタイトルから、あるいは見知らぬ誰かのnoteから。
それに触れてしまったが最後、あなたは記憶を消すことができない。
実のところこのゲームに百通りの体験など存在しない。あるのはステップ1,2であえて(あるいは自然に)立ち止まることを選択した人たちの彼らオリジナルの解釈と、ステップ3から6のどこかまで進んだ人たちの固定された意味の物語の二通り。
そういう意味で、このゲームを真に楽しめるのは○○を知らない人なのかもしれない。けれど○○を知らなければ、ゲーム内単語だけでは対応しない新聞の記事を読むことはできないから、このゲームを真に理解することはできない。
いいや、それも正しい言葉じゃない。
オリジナルの解釈で物語を通過した後に、攻略wikiを見ることで、自分の物語と固定された物語の隙間に生まれる何かを味わうこともできるかもしれない。言うまでもなく、僕はそれを不完全にしか味わわなかった。
だから現代のゲームは全ての選択肢に対応する強度を確保するのも良いんじゃないか。ネタバレを一切せずにゲーム内だけで立ち向かう人、ゲームを終えた後にネタバレを確認する人、ゲームをプレイしながらネタバレに触れた人、あるいはネタバレに触れてからゲームをする人。
例えば「解釈の余地を残す」のも製作者の取り得る選択肢。ネタバレがあろうがなかろうが、ゲーム内の情報ではピースが揃わない場合、プレイした人それぞれの想像力で補完するしかない。それはフロムソフトウェアが遠い昔から取っている手段だけど、他にはどんな方法があるんだろう。
「ゲーマーのための記憶を消す方法」を誰かが開発してくれる可能性もなくはない。あるいは1/10倍で味わってなお印象を残す素敵なゲームを世に出すこと。あなたはどこでネタバレに触れても良いし、もしくは全然触れなくても良い。
読んで後悔したあなたにも、「7days to End with You」はオススメだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?