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そして、身体は闘争を求める【AC6 2ndレビュー】

先日、1周クリアの勢いに任せて下のようなレビューを投稿した。

記事自体は結論への跳躍を誤って墜落したダメ記事なので目を通す必要はないのだけど、低質なコストで速乾性の陶酔感を混ぜこんだドーザーの妄言のような文章に、ひとつだけ褒める点があるとすれば、「身体は闘争を求める」というネットミームに着眼していたことだろう。

それは7年来の戯言であり、泥水にまみれた祈りの言葉だった。けれど、ACの火を絶やすことのなかった男は、AC乗りたちの祈りもやはり聞き捨てることはなかった。

妄言も時には的を掠る。震える指先から放ったそれが知らぬ間に本作の根幹に届いていたというのだから、はかなく墜落してしまった文章に、もう一度翼をつけてみようと思う。


AC6の発売直前、渋谷で花火がどうのこうのという話題を背に、私は醒めた目をしていた。期待を持てない理由は十分あった。ACシリーズを執り仕切っていた人物はフロムを出て別のロボゲーを作っているという話を聞いていたし、AC6を宮崎氏がディレクションをするというのも知っていた。それゆえにプレイ感がソウルシリーズだという噂も耳に挟んでいたし、ゲーム系サイトで見た先行プレイ画像はACfaそのままにしか見えなかった。確かに私はかつてACfaに熱中したけれど、今の時代にそれを繰り返すことに意味はあるのかと、そう思っていた。

しかし、ちょうどPS5が手に入る目途が立ったこともあり、どうせこの時期にゲーム機を買うならと、半信半疑でAC6を購入した。つまらなかったらすぐ売ろうくらい思っていた。実際その段階までくると、ちょっとウキウキもしていた。なんにしろ、この10年間でフロムの資金力が大きく変わったのは確かだ。そうして蓋を開けてみればそこには、PS5の性能を最大限に駆使した、私の愛した超高速機動の空戦に、V系のメカらしいUIの精緻と重厚感を組み合わせ、ソウルライクな高難度のボスバトルで味付けされ、鮮烈な印象を持つ人々の物語で彩られた、まさに新時代的なアーマード・コアが待ち受けていた。

と、初めから好感触だけだったかのように言うと嘘になる。ルビコンに密航したばかりの私は、美麗なグラフィックと封鎖機構ヘリやバルテウスの強烈な難易度に満足しながらも、やはりこれはソウルシリーズではないか? という疑念を捨てきれずにいた。バルテウスが繰り出すブレード攻撃は時計塔やアリアンデルで見た覚えのあるものだったし、ボス敵の行動パターンを把握し、その避け方と攻撃タイミングを手に馴染ませるゲーム性にはbloodborneが濃く匂い、衝撃値を溜めてスタッガーを取るシステムもSEKIROの影を感じざるを得なかった。

つまりアーマード・コアは死んだのだと思いながら壁を越え海を渡り、ボスバトルの歯ごたえにもそろそろ柔らかみを感じていた私がとっつかれたのはチャプター3の中盤だ。ACfaでのラインアークとホワイトグリントを思わせる「彼ら」に私は急性コジマ汚染あらためコーラル中毒罹患とでも言うべき状態で、脳内物質のもたらす安っぽいがその時はそうと気づかない多幸感の中で忠義を捨て女を取り、銀河系に無限増殖する可能性という名の災禍をもたらし、突然にふと思い立った。なんということだろうか。「私がプレイしていたのはAC6ではなかったのだ」。それから私は墜落した。


作中世界に大災害をもたらしたコーラルは一度燃え尽きたかに思われたが、その残り火は人知れず自己増殖を繰り返していた。ハンドラー・ウォルターはかつてあったことを語り、それから教訓を我々に伝える。「一度産まれたものは、そう簡単には死なない」と。私はとかくストーリーと製作者の意図を重ねて考えがちな人間だが、これはやはり、彼らからの応答に思えてならない。まだ燃え残っている。後は火を点けてくれ、と。

それから任務でまみえた声の聞こえない「彼」はかつてのプレイヤーたちの象徴でありながら、あまりにもホワイトグリントを思わせる姿に、「前作主人公」という揺らめきを私の脳内にもたらした。つまり、AC6は実は続編作品であり、ついぞ日の目を見られなかった「前作」があり、ACが世に姿をくらませてからの10年間も、人知れず、誰よりも高く飛ぶために戦い続けた傭兵たちの物語があったのだ。それはシリーズ存続のために奔走し続けた彼らの物語でもあったかもしれない、とここでリンクする。

本作のテーマを私なんかが語るのであれば、これは愛の物語だった。死んでいった友人たちへの、飼い犬と主人の、あるいはたったひとりの交信相手へ。それから、製作者からアーマード・コアと、アーマード・コアを愛した人々へ。AC乗りたちの祈りの声を聞き捨てることのなかった彼らは、泥水にまみれた、擦られ続けた戯言さえ、新たな問いかけを吹き込んで、物語に組み込んでしまった。
「身体は闘争を求める。しかし、なぜ?」
「交信」から動き出した物語が「応答」で締められる。その終演は美しい。

ところで本作を語る上でターゲットアシストの是非に触れられることがあるけれど、私はあって構わないシステムだと思う。ただし、オススメはオフ。中盤から現れる超高速機動の敵たちは、旧世代の強化人間がすでに型落ちのACで立ち向かう鉄臭い背景にシステム側から没入を誘うし、燃料系の残光とレーダー表示とアラートから敵の位置を探るゲーム体験も中々格好よくて良い。何より、何度も撃墜されながらも「機体が体皮に馴染む感覚」をあなたが手に入れたのならば、エンディングの光景はまた別の顔を持って、本作ならではの余韻をもたらしてくれるから。一度目のラストをガチタンでゴリ押して困惑した私が言うのだから、これは間違いない。


最後に本記事を書くにあたり、強大すぎるパワーで私が改めて語るべきことは何もないなと励ましてくださった諸記事へのリンクを置いて。

願わくばこの記事は、少しでも高くを飛んだように。

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