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キャンプという楽しい修行

ここ数年、友人とキャンプに行くようになった。
森の中で焚き木を囲んで、親しいひとたちと静かに過ごす時間はそれだけですごく贅沢ということで間違いない。それだけで十分すぎるのだけど、それだけでもない気がするので、違った切り口で自分にとってのキャンプを考えてみたいと思う。



僕にとってのキャンプは「いかに便利を手放すか?」という学びであったりする。

例えば、深夜に起きているとラーメンの誘惑が強くなる時間帯がある。普段なら僕の家の近所では、簡単で最高にうまいカップ麺を売るために24時間、ファミリーマートが営業してくれている。キャンプをしているとそうはいかない。(というよりそういはならない)単純に食べないという判断になるか。かわりに限られた材料で、なにか挑戦的な料理にを始めるかもしれない。いずれにしても今ある以上のものを過剰に求めないという選択を、ごくごく自然にすることができる。

僕らはともすると、便利さを求めすぎる。ついこの間買った最新のスマートフォンもあっという間に古びてしまうし、そのまま使っているとなんとなく世の中から遅れていくような気がしてしまう。キリがないとわかっていても新しくより便利なものは魅力的だ。
一方で努力して、成長して、消費を加速させていくことが、必ずしも幸せに結びつかない時代になってきたことも僕らはなんとなくわかっている。



経済思想家の斎藤幸平さんとコンテクストデザイナーの渡邉康太郎さんがpodcastでされていた話を思い出した。
僕たちは、24時間受けられるサービスの安心、100円でなんでも買えてしまう便利さを享受している。でももしかするとその快適さのために、自ら余分な労働を生み出しているかもしれないし、環境負荷を高めているかもしれない。消費による豊かさ、以外の尺度の豊かさを考えていく機会が今後増えていく。



キャンプで焚き木を囲む時間は、早くて美味いファストフードを超えて、湿度と温度がコントロールされた快適な空間を超えて、静かであることやゆっくりしていること、受容することの豊かさをすんなりと体感させてくれる。
そんな消費とは別のものさしをじっくり体得して、普段の生活にフィードバックしていく。キャンプは僕にとってすごくたのしい修行のようなものかもしれない。

そんなことを考えながら修行不足の僕は今日も美味いカップ麺をすする。

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Vol.52 ゆるやかな革命のビジョン〜気候変動対策に劇薬が必要な理由

人新世の「資本論」
斎藤 幸平


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