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俺の存在は恥ずかしくない!!

こんばんはっ(*‘ω‘ *)
今日、俺はとあるところでインタビューを受けてまいりました。内容はもちろんLGBTQ+に関することです。ただ、表立って使われることはないのでみなさんが目にすることはほとんどの確率で無いでしょう(;'∀')

インタビューを受ける前はそれなりに緊張していました。俺は緊張すると声が高くなり、早口になってしまうので、”低く低く、ゆっくり”と心のなかで唱えていました。

インタビュー中も前と同じくらい緊張していました…がわりと普通に話せていたと思います。いつもより緊張しておらず、配信するときぐらいの緊張度合いで、声もあまり高くならず早口でもありませんでした。インタビュー後、

(なんだ、俺できるじゃん)

と心の中で自分を褒めました。だけど、どうしてあまり緊張しなかったのだろう。

俺は一週間前、軽い面接指導で担任と1体1で話をしました。その時は三年間同じである担任なのに、ガッチガチに緊張していました。話すとき、声は高かったし、早口ではなかったかもしれないけど言葉が詰まりまくり、さらに体が無意識にふらふらと動いていました。その時聞かれたことは「高校時代で一番大変だったこと」
俺にとって一番大変だったことは学ランを着ることだった。着るために約2年はかかったし、友達、担任、クラスメイト、校長にまで話をした。だけど俺はあえて「一番大変だったことは部活動です」と答えた。

俺がその時、制服のことを言わなかったのは、目の前にいる担任にまた否定されるのが怖かったからだろうと思っていた。また、本面接では俺のことを全く知らない人を相手に話さなければならない。1から自分のことを話さなければならず、最悪その話だけで面接が終わってしまうかもしれない。理解されないかもしれない。また否定されるかもしれない。

そんな不安がどっと押し寄せた。

だけど、今思えば…
今日のインタビュアーは、確かにLGBTQ+理解者だ。だけど俺がFtMであることも何も知らない。理解があるといってもそれは自称であり、結局話してみなければわからない。
なぜその方には話せて、担任には話せなかったのだろう。

…俺が俺自身を恥ずかしいと思っているからだ。

トランスジェンダーである自分が恥ずかしい。はたから見れば周りに合わせられない変な男女。わがまま。男子制服着てる変な女子。

”生きているだけで、恥”。

心の底でそんな風に感じている自分がいた。インタビュアーに話せたのは、その方もLGBTQ+当事者だとおっしゃっていたからだろう。当事者、つまり”仲間”。かなり失礼だが、俺はその方を”同じ恥を抱えている仲間”だと感じてしまっていた。そんなことは決してないのに。俺が1年くらいしてきた活動はそれを否定するものだったのに。

君は君のままでいい_。

LGBTQ+でもそうじゃなくても、それが伝えたくてこれまで活動してきた。それとは反対の気持ちも同時に抱えてきたことを今日改めて感じると同時に申し訳なさでいっぱいになった。

俺の気持ちと発言は矛盾している。

今日のことではないが、俺に対してパートナーのサティさんに「矛盾してるね」と言われたことがある。
それは俺が「やっぱり女の子のほうが好きですか?」と聞いたからだった。自分でも矛盾していることは分かっていた。だけどその時は、聞かずにはいられないくらい感情的で余裕がなかった。

やっぱり、俺は俺の存在がいつも不安で、恥ずかしいと思う気持ちがずっと心の奥底にあったんだと思う。
だけど俺にとって、今の生き方が今できる範囲では最善で、これから先もどうすればよりよい未来を掴めるかを毎日考えている。だって、生きていたくはないけれど死にたいとは思わないから。どうせ死なないなら楽しくしていたいじゃん。そんな俺に今、できること、

俺の存在は恥ずかしくない!!

そう思えるように努力することだ。それはこれから活動するうえでも、生きていくためでも大切なこと。もうあんな失礼なことはしたくない。少しずつでいいからそう思えるようになったらいいなと思う。

Be yourself 俺のままで。
もちろん、君は君のままで。

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