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結果に於いては日記(2023年11月18日)

ヒロアカ39巻を買った時に帯に「第九回キャラクター人気投票」の投票券が2枚ついていたのです。今日は時間があったので通常ハガキをコンビニに買いに行きました。

もちろん推しの名前を書き、2枚とも投函してきました。

思い返せばもしかして「人気投票」にハガキ出したの初めてのような気がします。(ネット投票とかは多分なにかしらのジャンルでしたことがある気がします)

ハガキを買って、宛名を書いて、個人情報書いて、キャラクターの名前を書いて。
そして応募券を貼って、空いているスペースにデフォルメの推しキャラを描きました。かつては少年ジャンプの誌面についているアンケートを出したことがありましたが、それももう小学生のこと。1995年あたりか。

今はもう年賀はがきという文化からも遠ざかりましたので、ハガキが家になかったんですよ。それを「買って」「書いて」「貼って」投函するっていうのはすごいことだと思うのです。

ネットで投票、ボタンぽちー!じゃない。メールアドレスコピペしておけー。じゃない。その労力たるや。かつては普通だったことも、今ではかなりレアな行為ですよね。

わたしもこれまでは応募券がついていてもきっとスルーしていたのですが、さすがに推しマンガの、その中でも愛してる推しに投票できるということはもはや公然と「愛」を伝えられることに等しいですからね。

世には同じキャラクターを好きな方が5兆人いると思うのですが、それでもその中の一人だと手をあげることができるのは、とても有難い機会だと思います。自己満ですよ。

愛し方はそれぞれなので投票しなくても勿論いいし、私もどちらかといえばグッズを買い占めて買い占めて愛するよりは、考察して考察して幻覚を見て小説を書いて愛するタイプなのでわりと頭の中の恋愛なんですよね。(恋愛????)

だけど今回はなぜかスルーできなかった。ハガキを買う手間もある。
投函する手間もある。(普段しないことをする手間、ね)
投票したとしても何があるわけでもない。(運が良ければグッズが当たるらしいですがそれも欲しいわけでもない)

ただ投票しても、何万何千何百票のうちの2になるだけ。

そう。わかってる。

だけど、どうしてだか推しを思うと「伝えたい」
ここにあなたを心から愛してるひとがいるよって。

だって!だってね。

わたしの推しって、他者を幸せにしたいと思っているのに、その幸せの中に自分を勘定に入れてないんですよ。自分だけは穢れてるから陽の光を浴びるようなところに最後にいけるとは思っていない。
なんなら次の世代のことを守れるならいつでも果ててもいいと思ってる。
人の何倍も働いて苦しいコトを味わい、苦痛のなかで血塗れになっても言う。
「希望は」あると。

いやもうそういうところだよォぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお好きだよぉおおおおおおおお

無理すぎる。机に頭ぶつけてのたうちまわりたい。
待って?「あー、ありがちなやつね」とか思った?

ちげーんだわ。まだ魅力の2%も喋ってないのよーーーーー!!!
それだけじゃないのよーーーーー!!でもヒロアカっていま本当に終盤も終盤なので何を話そうともネタバレの嵐なんですよね。上のやつだってだいぶふんわり言いましたよ。

ヒロアカは特に心の成長の物語でもあるので、積み重ねが響いてくる。
だから「まだ読んだことない」人に何も言いたくない。ただ漫画を読むか、アニメを見るかしてそのままを浴びて、自分の感想でこころをいっぱいにして欲しい。

だから特にわたしの推しについてはほんとなーーーーんも言えぬ。
結構なことしてる。結構なポジション。
せめて2%。残りの98%を伝えようとするとnote新着わたしで埋まる。絶対そう。世界中に愛を叫んでしまう。そしてやかましいわたしの愛で誰かの愛をかたにはめてしまう。
違うじゃん!わたしの作り出す愛はわたしと推しだけの形なんだから
あなたにはあなたの推しの愛し方があるじゃん!

でも同担はちょっと受け付けないんでやめてください。

推しを推してるのはわたしの世界ではわたしだけでいいのです。
だから名前をいって現世に固着させたくない。わたしの名前をいってはいけないひと。愛してるひと。

さて、第九回人気投票。
推しは何位でしょうね。あんなに魅力的な彼なので全人類投票しないわけないと思うんですけど、案外低いんですよね。まぁいいんですよ。わたしがわかってればいいのよ!って人が投票してると思うので、その愛し方べネだね、なんつって。(昭和生まれ)

わたしの推しは汚れ役をかって出る男。そんな君の為にハガキを買いに歩いた道はとても恋だったのです。

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