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髪を切った話

1か月ほど前に、背中まであった髪をばっさり切りました。
ありがちな話ですが、その少し前に恋人とお別れしまして。

「もうあの人はいない」という事実に少しだけ、体が慣れてきた頃でした。

「見返したい」「未練を断ち切りたい」という前のめりな気持ちがあった訳ではなく、あの時の私は「早く変わらなければ」と、何かに焦っていたような気がします。長い髪に背中を守ってもらわないと生きていけないような、弱い自分のままではダメだ、と。

彼といた時の私には、自分のことよりもまず彼のことを優先する癖がついていました。そして、離れた後になって「私は自分に自信が持てなかったために、彼を心の拠り所にしていたのだ」ということを改めて痛感したのです。

「自分の力で立って、前に進める人になりたい」
思えば、取り憑かれたように新しい環境に飛び込み始めたのも、この気持ちが原動力になっていたからだと思います。今までの自分から逃げることに、理想の自分を追いかけることに必死でした。

そして勢い余った私はある日、長く伸びた髪をばっさりと切ったのでした。「失恋して髪を切るなんて古典的なことは、若いうちにやっておいた方がいいよね」なんて、誰にともなく言い訳しながら。

髪の短くなった自分は、少しだけ戦闘力が上がった気がして、心が弾みました。鏡に映る自分は、もうこれまでの弱い私ではない、と。
友達みんなが褒めてくれて、「短い方がいいよ」なんて言ってもらったりして。新しくなった自分を認めてもらったようで、とっても嬉しかった。

それから数日たって、彼が髪を染めたことを知りました。どうやら、だいぶ雰囲気が変わったらしいと。それを聞いて、私はぼんやりと「あぁ、もう見つけられなくなってしまった」と思いました。前を向いていたはずの気持ちは、面白いくらいに逆戻り。彼は彼で、違う方向に歩み始めているのだという事実に、どうしようもなく切なくなりました。

こうして、「髪が短いだけの未練たらたらの人」が出来上がったのでした。

学んだことが2つ。
ひとつめは、「髪を切ってもそう簡単に未練は断ち切れない」ということ。気分転換になったので後悔はしていませんが、「髪を切ったら前向きになれるはず」と期待しすぎたことは浅はかでした。

ふたつめは、「気に入らない自分から目を背けていても、新しい自分にはなれない」ということ。今になってやっと分かってきたことです。

これは友達の受け売りですが、
「自己肯定感=いかに自分を許せるか」なんだそうで。
弱い自分を否定してしまう弱さこそが、私の自信のなさの根っこにあるものなのだと。そう考えると、「自分に自信を持つ」ことは「弱い自分を受け入れ、肯定する」ことから始まるのだと気付きました。

そうして今は少しずつ、自分の弱い部分も大切にできるようになってきました。たまには元気でいられない日もありますが、そんな自分とも、焦らずゆっくり付き合っていきたいところです。

ご覧いただき、ありがとうございました。

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