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「いいひとですよね。」
「いいひとですよね。」と、職場の人に言われた。
「それってどういう意味ですか?」と食い気味に聞いてしまった。
なんだこいつ、と思われたかもしれない。
ごめんなさい。
"いい子"、"いいひと"、って、もちろん昔はきちんと褒め言葉だった。褒め言葉だと私も思っていた。
だけど20代もおわりを迎えようとしているいま、はて、と、"いいひと"が内包する意味を考える。そしてときには"やさしいね"もおなじニュアンスをもつ。
はじめて気がついたのは25歳を超えた頃だっただろうか。
ぞくにいうアラサーというやつだ。
節目というのは思った以上にいろんなところにその影響があらわれるらしい。
"やさしいね""いいひとだね"と言われるとき、呆れられているような、見放されているような、そんな気分になることがある。
もちろんそれはケースバイケースで、おたがいの関係性や、会話の前後関係やらによるのだが、
ある条件を満たしたとき、昔にはなかったひやりとした感覚にさせられる。
"やさしいね"が"弱いね"、"いいひとだね"が"他人の顔色ばっかりうかがってるね"に聞こえる。
"いい子"も"いいひと"も"やさしい"もやめて、適当にすればいいのだと言われる。
なにをそんな肩ひじはりつめているのだと、よく言われる。
私だってできることならもちろんやめたい。
「なにがわかるんだ!」と逆ギレしてやろうかと思うくらい、やめたい。
もちろん私はれっきとした社会人だしもうアラサーだし、そんなことしないけど。でも、頭で妄想するくらいには。(根暗すぎる)
うすい膜のように、ぴらぴらのシーツのように全身にまとわりつくそれを剥いでかなぐり捨てられたらどれだけ軽い気持ちでスキップできるだろう。と思う。
だけど生まれたときからわたしを覆っているそれはもうほとんど私の一部になっていて、なかなかかんたんにぽい捨てすることができない。
失うことがこわくすらあるかもしれない。
「いいひとですね。」と言われておちこみ、なんとか気力を回復するため、好きな曲を聴いて散歩をする夜中の12時。
…など、まあ私、ぜんぜん"いい子"でも"いいひと"でも"やさしい"ひとでもないのですが…。😅
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