2月の忘れ物

前回、だらっと書いた殴り書き(っぽい何か)がそれなりにまとまっていてなんだか満足感がありますので、しばらくはこのスタイルで書こうかと思います。誰かに読んでもらいたい、よりは自分のために書いてる節が強いnoteでして。お見苦しく申し訳ございません。

Twitterを見て頂いたり、前回のnoteを見て頂いた方は察しが付くかもしれませんが、私最終出勤日が終わって現在進行形でニートしています。フットボールとバスケットを見ながらも、日本各地を回っています。幸い自分はここまでのところお金をそこまで使っていなかったこともあり、それなりに節約しながら昨日は岡山に居まして、現在静岡に帰る新幹線車内で書き始めましたが、まぁ今年も始まってしまったなと思う訳でございます。

結局時間があると一人旅に出てしまうのは、正直両親の影響が強いと思います。一人で何でも出来るようにと育て上げられましたし、自立心もそれなりに強くって、厳しいことも結構言われながら育てられた気がします。
でもそれが今の自分の血となり肉となっている自覚は非常に強くて、難しい状況でも逃げないように、とかこれまでの教育が間違ってなかったなと思う場面は大人になってから増えました。自分は子供の頃(主に18歳まで)は割と生きにくさを強く感じていて、なんでこうなってしまったの?みたいに感じることも多かったのですが、大人になってからのほうが生きやすいと感じている次第で。

だからこそ、今回の退職に至る経緯は凄く失望した節があって。自分のことは自分で決めるのが当たり前だとか、自分の機嫌は自分で取る、大切にしたい人には優しくも厳しく温かく接する。と決めていた自分にとって、自分の存在意義がよくわからなくなってしまう事態になっていたのは、まぁ確かに辞めて正解だろうなと感じました。それなりにやりたい仕事もやっていたし、職場の仲間は暖かい人も多かったし、辞めると決まった今でもかかわりを持ち続けてくれる人も居るしで、なんでこうなったのかは自分にもよくわからないところが多くも、自分の何かを捨ててまで残る場所じゃなかったなーって思ったからだろうね、知らんけど。

もう一つ今回の旅で考えたのは、愛って何だろうなーって考えました。
例えばですが、厳しさの中に愛は無いものなのでしょうか。自分の中では、愛の表現方法ってたくさんあると思ってて、本当はずっと優しくしているのが一番だと思ってますし、厳しいことを誰かから言われなくても自分に課題を出しながら、誰かに言われなくても1から10までできるのが一番ベストだとは思っていますが、でも0から1を作る時には誰かに教えてもらわないとできないものだし、誰かから指導を受けたり、怒られたりするときはそれが自分の糧になると思ってはいますし、言われないと分からないことはこの世の中にいくらでもあると思いますし、無くてはならない事だと思ってます。

そういった中で、やれハラスメントがどうだとか、きつい言い方をされて心が病んだとか言うのは、個人的には論外だと思ってて。
人格否定が含まれるのは別ですよ?それは個人的にもだめだと思う。
ただ、自分の至らなさが原因で誰かから指導を受けるにあたって、言い方がーとか、伝え方がー、と文句を吐くのは、まずは自分が100出来るようになってから見返せばいいんじゃないかと思うのです。

とりとめもなく書きましたが、愛って何でしょうね。
誰かのことを考えること?でもそれって相手が望んでいることなの?
本当に望んでいることは何?よくわからないのが現実です。
たくさん話している相手でも、それでもまだわからない事ってたくさんあると思っている私からすれば、じゃあ求められてることは何ですか?って言ってくれた方がいいんだけど、そんなことを言ってくれる人も居るわけないしで。


所詮、人生なんて自己満足でしかないんだろうな、とはいつも思う。
それが正しいかどうかは、いつだって自分が決めるべきで、
それが自立につながると思う。
自分の機嫌は自分で取ってこそだし、旅に出るのもそれが一つの理由。
日々鍛錬を忘れず、もう少し頑張ってみようかな。

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