見出し画像

毎日3分掃除をする話。

タイトルで言いたいことが全て終わってしまった感があるが。苦笑

先日Xのタイムラインに流れてきた。
朝起きたらまずすることとして、3分間の掃除
それめっちゃいいじゃん、と思ったので導入することに決めた。

そもそも、私のように在宅で仕事をしている人種は、生活にメリハリがつけにくい。
自分の中に始業のスイッチを作っておかないと、ダラダラと1日が始まり、のんべんくらりと1日が終わる。
つまり、休日となんら変わらないわけだ。
やらなければならないことが山積みなのに、テンションは休日。
スイッチがない頃の私は完全にそんな感じで、なので常に〆切ギリギリの生活だった。(おかしい、それは今でも変わっていないぞ。。。)

一応自分のルーティンは出来上がっていて、まずは白湯を飲み、ストレッチをするところから1日が始まる。
柔軟性を失ったら老化が一気に進むと思っているので、ここは欠かせない。
というかそもそも、物心ついたころからずっと身体が硬くて、いや本当に引くほど硬くて、一念発起して立位体前屈マイナスマンを脱したのが去年のこと。
せっかく手に入れた人並みの柔軟性を失いたくない。
ちなみに今は背中の柔軟性改善が課題で、、、と、今日はその話ではないのだ。
得意の脱線である。

閑話休題。

さて、その始業ルーティンに3分掃除を追加しよう、という話だ。
ものは試し、早速導入してみた。

結論から言うと、たいへんよろしい

生活しているとどうしたって散らかる。
そもそも私は、あっちに物を置いては忘れ、こっちに物を出してはそのままにする天才だ。
日がな一日PCに向かって作業をしているだけのはずなのに、不思議なものである。
ただ、どうやらそうした一日の小さな変化くらいなら、3分間でリセット出来ることが判明した。

蓄積させてしまうから掃除が大変になるのだ。
物をあるべき場所に片付け、さっと掃除機をかける。
たったこれだけの行動で、環境を快適に維持できることに気づいたわけだ。

さて、懸命な読者諸君は思ったことだろう。
何を当たり前のことを偉そうに、と。
私もそう思う。
しかし、その「当たり前」が当たり前に出来ないのが私という人間だ。
これはもう、仕方がない。
小学生の時分から自覚している。

ただ、その当たり前が出来なかったからこそミュージシャンという道を歩んでいるわけで、だから、当たり前のことをきちんと出来るようになりたいなぁ、などとは微塵も思ったことがない
思ったことがないのだから、改善されるわけがないのだ。
そして、それで良いと思っている。
周囲に多少なりの迷惑をかけながら、私は我道を貫いている。
フォローをしてくれる仲間たちには感謝しかない。

それでも、たった3分の意識改革が、自分の生活を劇的に快適にしてくれたのは確か。


ただし、継続できるかどうかは、また別の話
今のところ、五分五分といったところか。
応援してください。笑

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?