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9月、秋月 日記


9月某日。


月の見えるベランダに腰掛け、この文を書いている。

今日は中秋の名月らしい。
確かに、今日の月は丸く、その薄く黄味がかったまっすぐな光を頭上から煌々と照らしている。

手持ち無沙汰にTwitterをいじると、タイムラインでは満月の写真と共に「月が綺麗ですね」なんて言葉がちらほら見える。
それを私はなんだかつまらないような顔で眺めていた。

今私が腰掛けているこのベランダは、私のお気に入りの場所だ。家の角にあるため、遮蔽物のない空をぼんやりと眺めるのには丁度いい。時折ここに腰掛け、空を眺めるのを生業にする私には、今日に限って月が注目されるのは不服だった。

月はずっと綺麗なんだ。
満ちていようと、欠けていようと。晴れていようと、曇っていようと。
どんな日も彼は(親しみを込めて呼びたくなったのである)ずっと変わらずにその煌然とした光を振り掛けてくれるのに。今日だけじゃないんだぞ!

…なんて好きな子が盗られたかのような子どもじみた発想をしながらまたぼんやりとする。


月。黄色くて丸い。その欠けることない姿を見て、ふと、プリンが食べたくなった。


私は無類のプリン好きである。

プリンが食べたい。今すぐ食べたい。黄色くて丸くて、喫茶店で食べるような固めで密度のあるプリンを!


プリンに脳を支配された私は、月も天井に近づく頃、自転車に飛び乗った。

自転車を走らせ、近くのスーパーに閉店時間ギリギリに駆け込む。コンビニより遥かに大きいプリンコーナーに溢れる様々なプリン!ショーケースに張り付き舌なめずりをする気持ちを抑え、ここはさも夜のスイーツを上品に味わう大人の顔をして、固めの焼きプリンを購入した。


帰り道は大人の顔なんてどこかに飛んで行ったかのようにウキウキで鼻歌を歌いながら自転車を漕いだ。
そんな阿呆を月は変わらず優しく見下ろしている。なんだか嬉しいような気持ちでゆらゆらと蛇行しながらゆっくりゆっくり家に帰った。少しでも月の下にいられるように、少しでもこの時間が長く続くように。
鼻歌には松田聖子を。


帰宅してすぐに、あのベランダに戻りプリンを開ける。
一口目を大きく掬うと、求めていた程よい固さで一口分だけのプリンがスプーンの上にしっかりとした姿で鎮座する。

ぱくり。

美味い!!!
優しい卵の味が口の中に広がる。固めのプリンは下の上で確かに存在を残して、喉の奥に消えていった。
ぱくぱくと、しかし大切に、プリンを掬っては食べていく。一口一口に毎度満足して、あっという間にカップが空になった私は、満足げな表情で空を見上げる。


空では月がまた変わらずに私を見下ろしている。

ベランダに吹き込む風は涼しく、どこからか虫の声を運んでくる。ベランダの床に触れていた足先が冷え始め、擦り合わせた温度が心地よい。
頭上の月は何にも覆われず、その美しい姿を空に掲げていた。その輝きは少しも失われることなく私の目を輝かせる。

私には〝月が綺麗ですね〟だとか、タバコの匂いのする彼はいないけれど、これは、紛れもない幸せだ。

9月、確かな秋の訪れの日に、そう思った。


恍惚 恍惚!

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