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小説『雑記帳』より。(2話③)

2話 タロットカードとシルバーグレイ③(2話目最終)

シルバーグレイはよく私の身体をくまなく触った。その手の感触は私の存在そのものを触れているみたいで、私はむしろ心地よかった。

「罪悪感なんてない。」

と思ってきたが、二枚のタロットカードの悪魔と塔を見た時、ただ自分が現実から目を背けて甘えてきただけなのだと突き付けられたようだった。

私が鈴木さんの背景を知らないように、シルバーグレイのこともアンダーグラウンドをほとんど知らない。

あえて聞かないで来た自分がいる。

聞かなくても、携帯の待受け画面を見れば分かる。大抵画面は好きなものか、大切なものがほとんどだ。見るつもりがなくても、そういうのは見えてしまう。

でも本人から聞いてしまったら別れが来ることは必須で、楽しさだけでなく、心が放り出されてしまうようなのは耐え難いと思っていたからだ。

「素子ちゃん、大丈夫?」


鈴木さんが二階に上がってきた。
私は現実にスッと引き戻されて、いつの間にか私はまた泣いていたことに気が付いた。
頬が涙で冷たい。
二日続けて泣いているとは情けなくて、隠すために急いで頬を手で拭った。
しかし鈴木さんは私が泣いていると分かっていて2階にあがってきたのだ。ソファの横に座ると、

「また泣いている。」

と、私の顔を両手で挟んだ。

「気にしなくていい。誰に指摘されても、どこまでも君は君なのだから。君が違うと思ったことは、気が付いた時にいつでも修正すればいい。」

そう言って、鈴木さんは自分のおでこを私のおでこにコツンとつけた。そこから何かを注入するかのように、目を閉じたまま鈴木さんはしばらくそうしていた。

「鈴木さん、私・・・・・。」

私が言いかけると、私の前髪をかき分けておでこにそっと唇をあてた。そして下に降りていってしまった。
鈴木さんに説明したところで、何になるというのだろう。私はハッと我に返った。自らが取った行動は、自ら修正する。そういうことなのだ。

私は自分の携帯電話を取り出すとメールを開いて、
「もう会わない。返事は要らない。」
と書いて送信した。

きっと彼なら慌てて私に電話するか、訳を聞くメールを送ってくるだろう。
そうしたらきっと私はその返信がしたくなる。もう一度だけ会って話し合う、そんな展開になってしまうだろう。
もう一度会ってしまったら、私の心も身体も頭で分かっていても彼を拒むことはできない。私は彼のアドレスと番号を着拒否にして、アドレス帳からその名前もアドレスも消した。
これで絶対に携帯電話は鳴らない。

私はシャガールの絵をもう一度見た。たぶん恋人だろう人に寄り添われている青い女性を、何の感情も湧かずに見た。
私が下に降りていくと、鈴木さんがエスプレッソを入れてくれた。

「エスプレッソ・・・・?」

私にエスプレッソを淹れて、鈴木さんはその出がらしエスプレッソを飲んでいる。

「消したの?」

鈴木さんは私が何をするか分かっていたのだ。鈴木さんに見透かされるのは不思議に全然不快ではない。

「うん。」
私はエスプレッソのカップを両手で確かめるように覆った。

「万全?」
「うん。」
「でも、公衆電話とかからかけたら、きっと繋がっちゃうね。」
鈴木さんが微笑みながら言った。

私が、
「あー、そうだ。なんだ、ダメじゃん。」
と前髪をくしゃっと掴んでいると、
鈴木さんが
「携帯電話から消えたというより、素子ちゃんの気持ちから自分で消したんだよ。そこに意味があるから大丈夫。自信もっていいよ。」

私は顔を上げて鈴木さんを見た。
アールヌーヴォーのランプの光は、鈴木さんの顔に陰影をつけていて、その表情がはっきりは分からない。
そういえば、なぜ鈴木さんは私の事情を知っているのだろう。確かに、年上の友達ができたみたいな話をしたことがあったような、なかったような。

「あれー?素子ちゃんと鈴木さんの視線があぶなーい。」
と常連の女性が囃し立てた。私は悪戯っぽくフフっと笑って、
「えへへ、いいでしょー。鈴木さん独占したいんだもん。」
と言うと、
「ちょっと羨ましすぎる!」
と彼女がケラケラと笑った。

私はフッと息を吐いて、現実に自分がいるかどうかを確かめるように自分の手首を触った。

私がカプチーノとエスプレッソ代を帰りに払おうとすると、鈴木さんがエスプレッソの金額を私に返してきた。

「エスプレッソは、僕からの大人のお祝い。」

雑記帳から出て十歩も歩かないうちに携帯電話が鳴った。画面を見ると『公衆電話』と表示されている。
私は声に出さずに笑った。まるで鈴木さんの予言みたいだ。口の中には、まだ微かにエスプレッソの大人の味が残っている。私はその着信を受けずに切った。

(3話へ続く)

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