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【年齢のうた】ONE OK ROCK ●「Mad World」で表現した、15才から「19年後の今」

サントリードリームマッチを観戦しました。東京ドームです。
張本さんのような元プロ野球選手の試合です。まあハリさんはもはやコーチの立場ですけど。
僕は子供と一緒だったのと、席の周辺がもうギッシリ詰まってて、あまり落ち着いて観れなかったけど(娘は野球のゲームには関心なし)、それでも楽しかったですね。槙原対バースはとくに(空振りの三振)。

話を音楽に移すと……思い出したのは、海外では数年前に、たとえばボブ・ディランとストーンズが一緒のライヴが企画されたこと。まあ中年期までに引退することがほとんどであるプロのアスリートと違って、ミュージシャンは70代、80代でも現役だったりするから、そこは大きな違いがありますが。ただ、新旧のファン(主に旧)にとっては超ベテランの本物が見れる場があるのはうれしいことであります。僕もバース見たの初めてだったし。

先週のフジロックから帰ってからは、毎日の酷暑と、沖縄近辺の台風の行方に気にしながら生活しています。そろそろ西日本全体が大変そう。とにかく被害が少ないことを祈りながら。

ONE OK ROCKの曲のことを書きます。

Takaが15才の時に聴いた、尾崎豊の「15の夜」

ONE OK ROCKは一時期に幾度かライヴを観ていたバンドで、かなり前にはフジロックでも観たことがある。
そして彼らについての原稿を書いたこともある。アルバム『Eye of the Storm』(2019年)の前後の時期は、とくに。

思い出したが、このアルバムのジャケットになった絵画が、数年前たまたま行った飲食店の壁に飾られていたことがあった。これはJonOneというアーティストの作品で、その壁に掛けられた絵の下には、ワンオクのアルバムジャケットになったというエピソードが書かれていた(ジャクソン・ポロックの影を感じる作風)。なぜあの店にあったのかはわからないが、その絵を、ほんとにすぐ目の前にしながらご飯を食べた記憶がある。

今回取り上げたいのは、ワンオクが去年リリースしたアルバム『Luxury Disease』に収録されている楽曲「Mad World」のこと。


この歌には年齢について言及した表現がある。歌の主人公は、明らかにヴォーカルのTakaその人である。

Takaが、自分について唄っている曲である。それも若い頃からこれまでの生きてきた道についてだ。

最初のヴァースで、音楽を志したことを信じた日が自分のセカンドバースデーだと唄い、続いて、年齢についての描写になる。
引かれたレールを外れた自分が、15才の夜に、「15の夜」を口ずさんだこと。
そう、以前ここで取り上げた、尾崎豊の歌である。

このストーリーから考えられるのは、15才の頃のTakaには、周りに反発する心が強くあったということ。それを「15の夜」に当てて考えれば、相手は大人か、相対する世の中、社会となるはずだ。

去年のインタビューで、彼はこの曲に関連して、こう語っている。

「世の中って何なんだろう?って、頭の中にはたくさんのはてなマークがありましたね。自分のやりたいことと、みんなが求めてくるものが、あまりにも違う。自分とフィットしていない感覚は常にありました。今も理解するようになったというくらいで、全く解消されていないんですけど。やっぱり、いつも自分を突き動かすのは怒りだったり、ネガティブな要素だったりが衝動の根源としてあるのかなと思います」

「たぶん、人間ってみんな自分が思う理想の世界を築きたいんだと思うんですよ。それに対してうまくいかないことがストレスになったり、怒りに変わったりする。でも、そういう怒りのエネルギーを理解しながら、そのエネルギーをどう使ったらベストかを考えるようになった。若い時はやり方を知らないんでいろんな失敗をしてきましたけど、でも、失敗が今の自分を作っている気がしますね」

ここには、理想を目指して、苦しみながらも前に突き進もうとしている若者の姿が見える。そして彼は、そうした困難な時期を過ごしてきたからこそ、今はこうして客観的な見方をしながら、自分について語ることができているのだと思う。

「19年後の今」も「夢のゴール」を目指すTaka

このことが表れているのが、先ほどの歌詞のあとに続く、「19年後の今」について唄っている部分だ(もちろんリリース時である去年の段階のことである)。

Takaは今でも理想を抱えているだろうし、おそらくはそこで壁に当たることもあるのではないかと思う。しかしそれについても、15才と34才では、もちろん大きく違う。
そして言及されている、15才の時の夢。その夢の続き、夢のゴール、さらに「愛」。
何よりも彼は、バンドとともにここに来るまでにたくさんのチャレンジを重ね、道を切り開いてきた人だ。

実は僕は、その『Eyes of the Storm』の頃にTakaのことをあれこれチェックしていて、そこで自分の年齢のことを強く意識している人なんだなと思った覚えがある。
中でも、下記の『GQ JAPAN』誌上に載ったインタビューにはそう感じた。

ここではほんの少しだけ、「僕らの“賞味期限”はそんなに残っていない」という見出しと、「30歳になったら言おうと思っていたんですけど」という発言ぐらいしか出ていないが、実際にはTakaは、これからは今まで通りではいられない、時間はそんなにない、という意味合いの言葉を語っていた。30代になるにあたって、思うところがあったのだろうか。

思えば、これと時期を同じくして、ハードでダイナミックなワンオクのサウンドは、もっとレンジを広げて、ポップネスだったり、ふくよかさだったりを身につけていった。そうした彼らの世界もまた素晴らしい。

先ほどの「Mad World」もそうしたうちの1曲だと思う(下記は英語バージョン)。

それにしても、年齢というものは、どう捉えていいものか、難しい。僕はそのことについてずっと考えてきていて、だからこうしたnoteを始めたところがある。

年齢は、世間一般から見た尺度として、有用なところはあるだろう。15才と35才では、求められる責任も何も違う。その人の社会的な立場やあり方も異なるし、その人を判断する何らかの材料のひとつにもなる。

ただ、見方を変えれば、年齢って、そんなにこだわらないといけないものなのか?という気もしている。
世の中に出れば、どんな仕事をしている人でも、どんな立場の人でも、一市民に違いない。15才でも35才でも、55才でも75才でも、そこでの自由や責任、権利は等しくあるべきだろう。

しかし、とくにこの日本では、年齢というものをことさら強く意識させられる気がしている。「お前はもう何歳になるんだから」とか「いくつになったらどうのこうの」という価値観が、日本人はとくに気にしているように思うのだ。
たとえば、25までに目が出なかったらとか、30歳までに結婚しなきゃ、とか。そういう類の話は、ほとんどが日本国内で耳にすることばかりだ。
いや、日本だけでなく、アジア全体が年齢に対する意識が強いのかもしれない。
ただ、欧米の人たちは、話す時だったり、一緒に仕事をする上で、相手が何才だからとか、年上とか年下とか、本当に関係なくやり取りしている印象がある。

世界レベルでの活動を展開し続けるONE OK ROCK。そのバンドのヴォーカルを張っているTakaは、つねにポジティヴな方向を向きながら歳を重ねて生きている人で、とても素敵だと思う。カッコいいと思う。
ただ、そんな彼でも、自分の年齢についてちょっと気にしながら生きているのかな、と感じる。そう思うと、やはり日本人なんだな、という気もする。
「Mad World」は、そうしたことを思い出させてくれた楽曲でもあった。

ワンオクは、去年のサマソニで観て以来。1年が経った。機会があれば、また彼らのライヴを観たいものだ。

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