見出し画像

【年齢のうた】山口百恵 その3 ●アルバム『16才のテーマ』、そして『17才のテーマ』…過渡期を迎えた私小説的な歌世界

ちょっと早い夏休み的な感じで、秋川渓谷に行きました。それも妻子抜きで、単身で。

めちゃ気持ち良さそうに
はしゃぐ方々がいました


といっても釣りなどせず、川を眺めながらちょっとだけ歩き、鮎の釜飯を食べ、温泉につかったぐらいですけど。東京にこんなに緑だらけの土地があるのね~、と新鮮な気持ちになりながら。

心まで深呼吸できるかのような爽やかさ


にしても、自分ひとりで外泊するの、いったい何年ぶりだろう。コロナ前以来なのは確実だけど。5年ぶりとか? おそらく。

それと前回は沢田研二の記事で、ご愛顧、どうもありがとうございました。
週明けにnoteを開いたら「先週もっとも多く読まれた記事になりました」とか何とか掲示されまして、うれしいかぎりです。

ジュリーの回は、公演後にすぐ投稿するつもりだったのが、いろいろなことが起こり、いろいろありで、とても早く書ける状態でなく、5日かかりました。まあ、おかげで内容的にあれこれ吟味できたのですが、しかしほかの仕事もあるしで、難しいですな。人生こんなことばっかりです。
それでも、まだまだ一生懸命でやらないと、と思ったという話でした。


今回は山口百恵の3回目になります。

前回までは15才の彼女について書いてまして、今回は16才以降になります。

さまざまな変化が生じはじめた百恵の歌の世界


1975年、この年の1月に16才になった山口百恵。この頃からの彼女の楽曲を見ていくと、それまでと違う傾向が出てきている。

まずはリリースするシングル。前年6月発売の「ひと夏の経験」では「青い性」路線を極めたことで相当なインパクトを放ったわけだが、それ以降は反動があったのか、極端に振れるようなアプローチがされなくなった。その分、楽曲自体のクオリティは高くとも、キャラ立ちが今ひとつの作品が続いていく。この見方は、熱心なファンからは反論があるかもしれないし、僕自身だってどの曲も当時ちゃんと聴いた記憶が残っている。ただ、決め手となる何かに至っていない感がどうしても残ってしまう。

この時期の傾向、ふたつ目は、リリースする楽曲、さらにアルバムの中に、百恵が主演を務めるドラマや映画の歌が増えていったことだ。この頃の彼女は三浦友和と出会い、両者は映画界では俳優としての人気を得ていった。そして主人公の役を演じる百恵は、その作品に関する歌を唄うことが増え、それがリリース作品の中に入ってくるようになったのである。

たとえば1975年は5月にアルバム『16才のテーマ』をリリースしているが、このB面、通しだと7曲目から最後までは、映画『潮騒』についての曲が占める。

続く12月発売のアルバム『ささやかな欲望』には、ドラマ『赤い疑惑』の主題歌となった「ありがとう あなた」が収録されている。この悲しいドラマは当時僕も観ていたので、曲もよく覚えている。百恵の歌の中でもかなり好きなだ。

さらに翌1976年は『17才のテーマ』の中には、再び「ありがとう あなた」を収めながら、やはり主演ドラマ『赤い運命』(これも観ていた記憶)の主題歌である同名曲と、映画『絶唱』の主題歌「山鳩」も入っている。

このように、今までは百恵の素顔、あるいは本心……を思わせる、感じさせるような、あるいは想像させるような、楽曲が存在することが、本当かどうかも含め、面白味があった。それだけリアリティとファンタジーのバランスの中で歌が作られていたのが、こうしてアルバム中に、明らかに別の物語である映画やドラマの楽曲が入り込んでくると、その塩梅も変わってくる。その歌の背景ははっきりと創作の話であり、唄う本人もそれを演じるかのように取り組んでいることになる。
もちろん、そうした楽曲も質の高いものがあったわけだし、こうした状況になるのは、それだけ当時の百恵が高い人気を得ていた証拠でもある。ただ、ことオリジナルアルバムの制作という観点で捉えると、難しい部分もあったのではないかと想像する。

16才を境に、一気に影を潜めていった実年齢ソング


そして三つめは、すでにその名を挙げたように、アルバムタイトルに『16才のテーマ』だとか『17才のテーマ』とネーミングしてはいるものの、以前の14才や15才の時を思うと、この頃の百恵にはその時の年齢にこだわった楽曲作りがなされていない。これには先のことが関係しているのかどうかは不明である。

ただ、これは僕の見方だが……もし映画やドラマでの登場人物の設定が百恵の実年齢ではなかった場合、そのストーリーの歌も入っていると、いつもその時の年齢に執着した歌は唄いにくくなる部分も出てくるのではないか、と思う。たとえば17才時点で、まさに17才のリアルな歌を追求していても、役柄として15才を演じた映画作品の歌も入ってくるとしたら、そのバランスをとるのが難しいのでは、ということである。この時期、酒井政利プロデューサーがかねてほど実年齢を打ち出した楽曲を作らなかった要因には、このことがあったのではと推察する次第だ。

さらに類推するなら、この頃からの百恵は、もはやそのへんの16才や17才とは感覚的な部分で何かが違う……実年齢よりいくらか先を行ったような、言わば大人のような気配を匂わせるようになってきていたのではないだろうか。
で、もっと深読みすれば、実際の年齢へのこだわりなどどうでもいいと感じさせるほど、百恵は歌手として……歌によって心情を表すシンガーとしての進歩を見せようとしていたのではないか、と思うのである。

こうしたことを思うと、この段階での百恵の歌は過渡期に入っていたのではないかと考える。言い方を変えるなら、その私小説的な表現は、大きな転換点を迎えようとしていた。

そんな中、アルバム『17才のテーマ』の制作にあたる過程で、のちの百恵の歌の表現において、非常に重要な出会いが訪れていた。
本アルバムに「木漏れ日」、「碧色の瞳」、「幸福の実感」の3曲を提供している、作詞・阿木燿子、作曲・宇崎竜童の夫妻コンビである。

(山口百恵 その4 に続く)


秋川渓谷で食べた鮎の釜飯セット、1800円。
お魚の苦みある味わいが良かったです

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?