岩波文庫100冊チャレンジ【勧進帳】・・義経と推しの共通点
チャレンジ17冊目、勧進帳
岩波文庫(黄)は初めて手にした。
緑も日本文学だけれど、緑=近代・現代、黄=古典、という違い。
うむ、古典。
果たしてこの義経・弁慶の主従関係と富樫の胸の内、
どの世代まで心を打つ美談に映るのだろう。
それとも日本人としては永遠に美談なのだろうか。
かくいう自分はミレニアルと言われる世代に属しているが、勧進帳は知識として入るものの、読んで涙を流したかと言われれば、そこまでは・・であった。
今はもう無い「主従関係」。
命を賭してまで尽くしたいと思う、主に仕えた時代。
この人こそは、世の中を変えてくれるだろうと信じた時代。
単に利害で結びつく主従もあっただけに、そこに「信念」があったからこそ
美しくみえたのだと思う。
読んでいる時はふんふん、ふ〜ん、で終わってしまったけれど、
今改めて書き起こしてみると少し輝いて見える。
そこで、この主従関係を今でいうどんな関係?に当てはめて、
もっと想像してみる。
勧進帳が初めての方は先に、目次からおさらい、へどうぞ!
想像主従①「上司と部下」
いやぁ、、利害関係しかないよーな。。
だってあれよ、第一関門である勧進帳読み上げ〜富樫との問答においてはおそらく優秀な部下が上司を庇うため、完璧に役を取り繕うことができたとして、第二関門、義経の正体が危ぶまれて、咄嗟に弁慶が義経を打擲する場面。ここなんぞは完全に部下は日頃の鬱憤をここぞとばかりに上司にぶつけてそう。。「おのれ、いつも威張りやがって、こっちはいい顔してやってんのにヨォ、舐めんじゃねーゾ!」・・うむ、聞こえた。
これはダメだ、心が感じられない。
想像主従②「飼い主とペットの犬」
・・成り立たないよね、うん。
主従は間違いないのだろうけど、やはり人間で想像してみよう。
想像主従③「推しとファン」
推しを神、いや主のように崇める下僕ファン。
まず第一関門。推しのためならどんな役もこなすだろう、下僕。よし突破。
そして第二関門。下僕が推しをボコるなど想像もできない・・しかしここは推しの命がかかっている!迫真の演技で涙涙ながらに推しを殴る(心ではぺちぺちと)「ごめんなさい、ごめんなさい、許してくださいー!」
意外にもしっくりきてしまった・・笑
義経と弁慶は、今でいう推しとファンの関係なのだろうか。。
(しんみり)
さて、勧進帳を知らない方へ。
見どころはほぼ上のシーンなのですが(ぇ)
勧進帳おさらい
時は、鎌倉殿(頼朝)の時代。
討伐対象の義経が山伏に扮しているとの情報が入り、
関所で全ての山伏を取り調べよ、との頼朝令。
安宅(あたか)の関を守るは冨樫左衛門。義経一行を詰問する。
冨樫詰め寄り、仏門にあるというなら勧進帳があるはず、見せよ
勧進帳とは、仏寺の寄附を募るため、その主旨を記した台帳
弁慶は、勧進帳など持っていないにも関わらず、高々と見事に読み上げる。
その後、冨樫はいくつも質問するが、弁慶はたくみに受けてかわす。
関心した冨樫は一行を通そうとするが、1番最後に通ろうとした人相が怪しまれ、義経だけ止められる。
すかさず弁慶が罷り出て、人相を怪しまれるのは日頃の行いが悪いからだと、
冨樫に有無を言わさぬ勢いで、義経を打擲する。
その一部始終に心を打たれた冨樫は一行を通してしまう。
この時の冨樫、義経だと気づいていたが、自分の主人を叩いてまでその命を守ろうとする弁慶に心打たれた(あ、書いてたら涙出た・・)
義経は弁慶の機転に感謝し、弁慶は主君を打ったことに「虎の尾を踏んだ」ような心持ちだったとし、一生に一度の涙を流す。
岩波文庫の本自体は、本編よりも注釈のボリュームが相当数あり、まるで台本。見たことがないと、想像し難いので、一度で良いから歌舞伎を見に行きたい!
と強く強く思いました。
薄い本に走ったんじゃないよ、、
岩波(青)に疲れたからと言って、薄いから手に取った訳では・・
とはいえ、
岩波文庫100冊チャレンジ、残り83冊🌟えへ