桜だなんて


                 
同室にとんでもないイケメンがいる。その事実が入院中の私にとって唯一のいい事だった。別に極端な面食いというわけではないし彼氏いない歴イコール年齢とかでもない。それでもドラマで顔立ちがいい人をみると心が弾むし、アイドルだって追いかけてたりする。もしかしたらこれを面食いというのかもしれないけれど。それは現実だって一緒だ。イケメンは正義。目の保養なのだ。同室にいるとんでもないイケメンの名前は桜庭春樹というらしい。めちゃくちゃ春という感じのお名前だ。これで春生まれじゃなかったら親御さんの感性はどのようなものかというのをお聞きしたいものだ。だけどそんないかにも春爛漫なお名前を持っていても彼のイメージそのものが春でなければ意味がない。実際同室の桜庭さんに私が抱いている印象は春ではなく冬だ。なぜなら彼はいつも病室で春爛漫なお名前に似つかわしくない表情をしているからだ。彼はいつも物憂げな面持ちで読書をしている。というか、読書をしているところしか見たことがない。ましてや誰かと会話をしているところなんて言わずもがなだ。入院中も誰も彼を見舞う人間はいないということだ。彼には家族も友達もいないのだろうか。朝から晩まで読書しかしていない彼の表情には桜満開どころか極寒の地のようだった。イケメンだけど、寂しい人。それが桜庭さんに抱いている印象だった。
    ◇
病院で過ごす時間はとてつもなく暇だった。右足を怪我しているせいで病室から頻繁に出ることもできないし。入院してから数日。思うように体を動かすことができない私は斜め前のベットで読書をしている桜庭さんを見て時間を潰していた。イケメンだからどれだけ眺めていても飽きなかった。さすがイケメンの効力は計り知れない。
「…あの」
ずっと手元の小難しそうな本にしか向いていなかった桜庭さんの視線が私に向けられた。目が合う。ぼーっと桜庭さんを眺めていたから自分に掛けられた声にすぐ気づくことができなかった。
「あの」
再び声を掛けられて、その声の向く先が私であるのを理解してから緊張が全身を走った。イケメンに話しかけられて緊張しない人はいないだろう。
「僕の顔になにかついてますか」
「…へっ?」
「ずっと僕の顔を見てたでしょう?」
不審そうに告げられた桜庭さんの言葉に冷や汗まで流れてきた。
どうしよう…このままじゃ不審者確定だ…!
私は咄嗟に笑顔を貼り付けた。
「な、なにもついてませんよ!あ、そ、その、服を見ていたんです!おしゃれな服だなって…へへっ」
「…これは病院のパジャマですが…」
「えっ!あっ!!!と、時計です!どこのブランドだろうなーって!!」
「これは五百円の時計です…」
桜庭さんはますます不審そうに私を見てそういった。
「え、え!ご、ごひゃくえん!これが!み、みえないです…!もっと高級なものかと…」
「…変な方ですね」
真顔でそんなこと言われると傷つくんですけど…と言いたいところをぐっと堪えた。
「…あの、私の視線は気にしないでください。ただの芸術鑑賞みたいなものなので」
「…芸術鑑賞?」
「と、とにかく気にしないでください!」
桜庭さんが不思議そうに首を傾げる。多分彼には自分がイケメンであるという自覚が著しく乏しい。
「よくわかりませんが、わかりました」
自覚がないイケメンというものは厄介だ。見られていることを普通のこととして捉えてくれないからだ。
  ◇
そんな会話があり私と桜庭さんは目が合うたびに会話をするようになった。会話はいつも
挨拶程度で他愛のないものだったけれど交わすたびに心がボールより大きく弾んだ。イケメンってずるい。
「高橋さん」
桜庭さんが私を呼んだ。どうやら私の名前を覚えてくれているらしい。
「高橋さんはどうして怪我を?」
その質問に私は言葉をつまらせた。答えられない内容だからではない。答えるのが恥ずかしかったのだ。
「…嬉しいことがあってスキップしながら帰ってたら転んだんです…お恥ずかしい」
こんなにも間抜けな理由でここに入院しているなんて恥ずかしいこの上なかった。どうぞ笑ってくれと思った。だけど桜庭さんは笑わなかった。なんの感情も読み取れなかった。
「…高橋さんは幸せな方なんですね」
そう、桜庭さんは呟いた。彼のその声がどこか寂しそうに聞こえたのは気の所為だろうか。
「さ、桜庭さんはどうして怪我を?」
聞き返すと彼は淡々と答えた。
「車に轢かれそうになった犬を助けようとして」
「えっ?ワンちゃん?」
私は自分でも驚くような間抜けな声を出してしまった。車に轢かれそうになった犬を助けるなんて漫画のなかでしか見たことのない描写だ。
「だ、大丈夫だったんですか?」
「大丈夫でしたよ、ワンちゃん、なにも怪我してなくて安心しました」
「そうじゃなくて桜庭さんのほうです」
「あぁ、僕は全身打撲でした」
私は心のなかで手を合わせた。
「犬が大丈夫なのはよかったですが、大変でしたね…早く治るといいですね」
そう言うと桜庭さんの表情は一気に曇った。
「怪我のことはどうでもいいんです。僕が退院したところで、喜ぶ人なんて誰もいません」
その刹那、窓から風が入ってきて彼の髪の毛を揺らした。物憂げにどこかを見つめる桜庭さんは儚げで今にも消えてしまいそうだった。まるで咲けば散りゆく春の桜のように。
「…私が喜びます!桜庭さんが元気になったら!」
気づかないうちにそんな言葉を口にしていた。何かを言わないと彼が消えてしまう。そんなことを私の直感が言ったからだ。
「高橋さんが…?」
「はい!」
はっきりそううなずくと桜庭さんは呆気にとられたような顔をした。
「まあ、私より早く退院されるのは寂しいですけどね」
私が正直に打ち明けると彼は私をじっと見つめて微かに口角を上げた。
「やっぱり変な方ですね」
  ◇
予想もしていなかった退屈な入院生活は桜庭さんのおかげで退屈しなかった。彼と話す時間はとても楽しかった。彼と話すうちに桜庭さんには家族も友達もいないことが分かって彼がいつも物憂げな表情を浮かべていた理由を知った。
本人はどうでもいいと言っていた彼の怪我は徐々に回復しているらしかった。そしてついに桜庭さんが退院する日がきた。
いざ退院となると寂しくて私はベットの上でぼーっと過ごしていた。もう彼に会うことも話すこともあの芸術品のような顔も見ることもかなわないなんて。そう思うと寂しさが一気に押し寄せてきた。
「高橋さんっ」
名前を呼ばれたことに気がついて顔を上げると桜庭さんがベッドに立っていた。桜庭さんの服はパジャマではなくて淡い青を基調とした私服だった。本当に退院してしまうのだと実感してしまって胸が締め付けられた。
「今までありがとうございました。高橋さんのおかげで、楽しかったです」
桜庭さんの言葉にお別れを突きつけられて更に寂しくなったけれど桜庭さんも同じ気持ちだったことが分かって嬉しかった。
「…そろそろ行かないとだ」
「あっ、下まで見送ります」
荷物を持って部屋から出ていこうとする桜庭さんにそう言った。彼は遠慮がちだったけれど私はベッドから立ち上がってまだ完治していない右足を引きずりながら桜庭さんと病院の入り口まで行った。
「「あ…」」
二人の声が重なった。桜だ。薄い桃色の鼻は鮮やかに咲いていた。まるで退院した桜庭さんをお祝いするように。
「…綺麗ですね」
桜庭さんがそう言うのを聞いて私もすかさずそうですねと呟いた。
「きっと桜も桜庭さんが退院して嬉しいんですよ」
そう桜庭さんに笑いかけると彼は私を見つめて微笑んだ。
「ありがとう」

やっぱり桜庭さんは彼の名のとおりに春の陽気のように暖かかった。
彼はまるで桜のような人だ。

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