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死がすぐそばにいる

私が初めて「死にたい」と口にしたのは6歳の時だった。なににそこまで怒ったのかわからないが、怒りと悲しみに苛まれた私は「死ぬ」と言って道路に飛び出そうとして、母に止められたのを覚えている。
小学3年生のときも、担任の先生に「死にたい」と訴えた。先生は、昔流産したときとても辛かったという話をしてくれた。せっかく生まれた命なのにそんなことは言わないでと泣かれた。
それなのに、私は「だからって私の苦しみがわかるわけじゃない!」と強がって逃げてしまった。心の底では、先生が私の「死にたい」によって傷ついたことがよくわかっていて、自分が情けなくて、逃げた先で涙が止まらなかった。
それから、小学生の間は「死にたい」と思っても、言わなくなった。人を悲しませるのだと自覚したから。

中学校に入ってクラスメイトからハブられるようになり、また死のうと考えてしまった。毎日毎日、中学校への道の途中にある橋の欄干に登り、飛び降りようとして、怖くてできなくて明日にしよう、を繰り返していた。明日にしようを繰り返すことで、いつか死ななくてもいいと思えるようになると期待していた。

そんな川で遺体を見つけたのは中学2年生の時のことだった。

その日。今日も死ぬの無理だ明日にしようと考えながらぼうっと水面を見ていると、土気色の物体がゆらゆらと流れていく。……布がまとわりついた段ボールかと思った。それくらい、命を失った身体にはなんの力も入っておらず、水の動きに合わせてゆらゆらと蠢いていた。

遺体だと気づいて、驚くほど冷静に私は110番した。数分後、パトカーやヘリが駆けつけ、結果的にかなり海の方まで流されていた遺体はヘリコプターで引き上げられたようだった。

パトカーがつくまで、流れていく遺体をじっと見ていた。今でもまぶたを閉じれば鮮明に思い出せるくらい、真剣に。

若い男性だったらしい。今の私より若かった気がする。身元がわからないということだった。

この出来事によって、死はぐっと身近になった。不謹慎な話だということはわかっている。ただ、何かの拍子に命を落とした瞬間、それまでの人生やその人の気持ちなど、すべて意味を持たなくなるのだと知った。

私は死ぬことをどこかで救いのように思っていた。死はファンタジーであった。悲しみや苦しみから解き放たれる唯一の手段だと信じていた。でも、現実の死は、あまりにも無情で、なにも残らないものなのだと知った。どんな思いだったのか、自殺か他殺か、事故か事件か、それらはあまり関係がなく、意味もなく、死ぬということはただ全てを失うことなのだと、失ったことすら体験できないものなのだと知った。

だってあの時流されていったのは、人じゃなくて物だったから。何度思い返しても、あれは物だった。

私もいつかただの物になるなら、生きている意味ってなんだろうか?

人生は楽しむためにある、とか、何かを成し遂げようとか、歴史に残ろうとか、それになんの意味が、なんの価値が。

でも死ぬことにも意味はないのだと知った。だからなんとなく今日まで生きている。

今日も私は少しずつ死につつあって、細胞が分裂して破壊されて生まれてを繰り返すたびに生命活動の終わりは近づいている。それを止める方法はない。

でも、逆行する手段が一つだけあるのだと、最近気づいた。

それは、新しい命を生み出すこと。

死にゆく私の中から新しい何かが生まれる。その瞬間だけ、私は熱を失っていく身体に大きな火を灯すことができる。そして生まれた命がまた新しい命を作るかもしれない。種としての、死への抵抗。それが命を生み出すことだ。

私が男性であったとしても、同じように命を生み出すひとりになれるけれど、私は女性でよかったなと思う。私の中で生まれた命が私の中で育まれ、この世にあらわれる。それを体験してみたいと今は思っている。

もちろん子どもはわたしの勝手な思惑のために生まれてくるのだ。子どもを作るなんてエゴでしかない行為だと感じる。生まれてからの人生はもちろん子どものものだし、幸せにする義務は私にある。そういう話ではなくて、いきものとして死に逆らう方法はなにか?と考えたとき、新しい命を生み出すことが私にできる唯一のことだと感じている。

安心して欲しい。子どもを作る予定はない。

ただ、迫り来る死に逆らう方法がひとつでもあるのは救いかもしれない、と思っている。

私は死ぬことを考えて、遺体を見て、死について考え、死が身近になってしまった。身体は生きているけど心は死につつあるのかもしれない。

今のところは、命が助かってるだけのことだ。

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