はじめてストリートピアノを弾いてみて感じた,ピアノを弾く意味について

この間の日曜日の夜,初めてストリートピアノとやらを弾いてきたのですが,ストリートピアノについて,果ては自分が音楽をする意味について考え込んでいたら,珍しく目がさえて日曜の夜3時くらいまで寝れず次の日の仕事が地味につらかったので,Noteにまとめます。

ちなみに私は,ただのピアノ好きです。小学生~大学生に至るまで,特にはっきりした将来の夢がない人でしたが,小学生の頃に将来の夢は?という授業で,一生ピアノを弾き続けること,でもピアニストにもピアノの先生にもなりたくない,というちょっと可愛くない子供でした。サッカーは一生続けたいけど,サッカー選手にはなりたくない,じゃなくて,Jリーガーになりたい!とかですよね。いや,マンチェスターユナイテッドとかかな,夢はでっかく。

さて,年末年始とかでよく駅ピアノ・空港ピアノの特集をやっていますよね。すてきなジャズを弾いているおじいさんが実はホームレスとか,哀愁ただよう演奏をするマダムとか,見ていてなんだか心が熱くなります。
とあるストリートピアノを,憧れのストピだ~♪と弾いてきたのですが,期せずしてこれは弾こうかどうかと3時間ほど迷い,結局お客さんを出来る限り意識しないように弾いて帰ってきて3時まで考えてしまいました,ストピデビュー。
コンサートでもなく,風景にひっそりと溶け込む,道端の草むらに埋もれたピアノでもなく,”ストリートピアノ”として存在するピアノ。
続々と弾きに行く人,拍手,拍手,,,素敵…ですね。うん,みんなとっても上手だし,素敵。
でも何となく勝手に想像していた,テレビで見ていた,ストリートピアノとは少しだけ違いました。聞いてもらうために弾く,いや,それは当然のことで何も違わないし,久々に人の前で弾くのはとっても楽しかったんです。
でも,考えこんだ結果,その違和感の正体は多分,自分が何のためにピアノを弾くかということなのかなと思います。
仕事にもプレゼンにも会議にも”目的”ってありますよね。それと同じで,ピアノを弾く目的,ストリートピアノを弾く目的。仕事にせず大人になってもピアノを続ける目的。

昔就活の特に,ピアノをやっているという話をすると,「それって,私を見て~~!って気持ちでやってるの?」と驚きの言葉を言われたことがあり,もう怒ってもないし気にしてもないのですが,その時一言で返せずどういう気持ちでやってるんだろう?と考え込んでしまったことがあります。
仕事をする時に私をみて~~上司認めて~~って常に思ってる人ってなかなかいないですよね。見てもらって認めてもらうと嬉しいのはもちろんだし必要なことだけど,本来の目的ってそこじゃない気がする。

ピアニストにもピアノの先生にもなりたくなかった私にとって,ピアノを弾く目的とは,まずは単純に音楽の美しさを感じて,どうやったら先生の言う通りに,あるいはこの作曲家が感じたものを理解してその美しさを表現できるのか,ということだったのかもしれない。どこまでできるかは別としてね。そしてそれは,アマチュアでもプロでも同じだし音楽好きは多少なりとも皆持っているものだと思う。
そのうえで,ただのピアノ好きにとって,練習してそれで終わりという環境で,その音楽の美しさを納得いくまで表現できたとしてそれは,果たして楽しいのだろうか。
大学時代までは大好きな先生と,めちゃくちゃうまいサークルのメンバーと,そこから広がる人間関係があり,定期的なコンサートもあった。でも社会人になると,せまい家の電子ピアノでピアノを弾いて,たまにピアノスタジオでこもって生のピアノを弾く。社会人サークルのピアノサークルもあるけれども,なんとなく,その目的が人との交流か,自分のうまさを聞いてほしいとか,サークル自体が悪いのではなくて,むしろ自分がそっちの方に傾いていきそうなのを微妙に想像し,結局入るのをためらってしまった。
でも,普通の人は私みたいな人も結構多いと思う。
意外と,仕事にもせず,おばあちゃんになってもピアノを弾き続けて孫におあばあちゃん上手いって言われるなんて難しいのかもなんて,小学生の時の自分の夢をちょっと感じてしまった。
自分以外の誰にも聞かれない音楽は,自分の楽しみや心の潤いにはなっても,発せられたあとは消えてなくなってしまうのだろうか。自宅のピアノを弾いて,母親がみじん切りがリズミカルにできたわ,お隣さんが今日弾いてた曲好きよと感想を言ってくれるだけで,私はピアノを続けられると思う。発表会とかなくても。

つまり,音楽は人を繋ぐものでもあるんじゃないか。ある作曲者から音楽が生み出されて,それを自分が感じて表現して,もちろんそれは自分の潤いにだって慰めにだってなるものだけど,それであれば原曲を聞くだけでもひょっとすると同じかもしれない。でも,自分が何かしら感じて表現したものを,別の人が聞いて,その音楽を知るきっかけであっても,あるいは何かの慰めにでも,みじん切りのBGMにでもなったら,限りある人生にその音楽が一瞬流れるとしたら,それって演奏者として本当にうれしいことだよなって。

ストリートピアノしかり,それを撮影して配信するYoutubeしかり,趣味のサークルしかり,人に聞いてもらって,それを通して何か感じてもらえるっていうのはやっぱり素敵なことですよね。ピアノを続けている人には,音大に行って音楽の道に進む人もいれば,最近だとYoutubeピアニストとして配信している方,あるいは,音大に行かない人の中にも音大生よりうまいだろう人も,その中にはピアノの道に結局進む人も,すっぱりやめる人も,再開する人も,2足のわらじをはくところからスタートする人もいて色んな関わり方がある。

プロのピアニストは人に聞いてもらってなんぼだし,文字通りそれでお金を稼いでいる。
でも,ただの音楽好きにとって,音楽を大人になってまで続ける意味をあえて考えるとすれば,音楽が好きということ,そしてそれを誰かが耳にして何か感じてくれること,そういうことも含め,袖振り合うであっても何かしらの繋がりが生まれること,であってほしいと私は思った。
スタジオで1人で完結して音楽が消えていくとしたらそれは寂しい。それに,多分もったいない。音楽はきっと,誰かが何かをイメージして生まれてきて,それを誰かが聞いて,感じて,変えて,受け継がれているものだから,ただただ1人で完結するのは,やっぱり寂しいしもったいない。
それが,連弾であっても,ピアノ好きたちによる弾きあい会であっても,ストリートピアノでも,Youtubeの配信であっても,コンサートでも,誰かと共有して,何かが繋がっていく。
ストリートピアノは多くの人がそこにいて簡単に聞いてくれるし,Youtubeでストピ動画も人気がある。でも,気軽に多くの人に見てもらえる世の中だからこそ,それはある種中毒性のあるものかもしれないから,その目的として誰もにある音楽を楽しむという気持ち,それが,人に見てほしいと思う気持ちで無くならないようであってほしいと思った。

フランスの街角でバケットを買った帰り,素敵な三重奏に足をとめて思わず微笑むような,
お出かけに出たおばあちゃんと孫が人差し指1本でかえるの歌を連弾するような,

そんな優しい文化であり交流の場としてストリートピアノが根付いてくれたらよいなと思った。

現に私も,Youtubeのピアノ配信をみて,やっぱピアノ良いな~と思って,しばらく眠っていたピアノを弾きだし,ストリートピアノを弾いてみて,上記の結論にいたった者です。音楽ってやっぱいいよね。
皆が音楽を楽しみ,そこから人との輪が広がっていきますように。

(2021.9月追記)
コロナ禍の始まりごろに書いたこの記事,こんなに長くこういう時世が続くとは思っていませんでした。この約半年後,きっとよくある事なんだと思うけど,私にとっては結構なショックなことと,それに関連して悔しいくらい,嫉妬するくらいに素晴らしいピアノを聞き,20年ほどクラシックをやって,数年くらいガチピアノからは離れていた私は,はじめてジャズピアノに出会うことになります。
今振り返ってこの記事を読んで思えること。「意外と,仕事にもせず,おばあちゃんになってもピアノを弾き続けて孫におあばあちゃん上手いって言われるなんて難しいのかも」って書いたけど,それ,自分次第やし思いこみやで!って思います。
確かにクラシックだとそれは難しいかもしれない。でも,誰かと合わせる前提のジャズなら,一人でずっと向かい続ける必要もない。そしてアドリブが奥深いしめちゃくちゃ楽しい。
環境を変えてみると,意外とすんなりと思い描く理想に近かったりすることもあるのかもしれないと思いました。
仕事にしない,っていうのも,自分がそう思っていたらそうだけど,世の中の需要を見てみたら,自分の努力次第でどうにでもなるものかもしれないしね?
とりあえず,しばらくジャズを楽しんで行こうと思います。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?