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"哲学"を知ることは、多様な考え方を受容する素地をつくることなのかも

「哲学ってなんか小難しいし、改めてふれることに意味があるのかな〜」

なんて、読む前までは思っていたのですが…。

「哲学なんてわからん!」という私のような初学者向けにピッタリの一冊。
流れを追って、その哲学者がどんな思想を打ち立てていったのか、固い書き言葉ではなく、わかりやすい話し言葉で説明していってくれており、すごく面白かった!!

ここで興味を持った哲学者の思想について、さらに深堀りしていきたいと思える入門書でした。

■ハイライト

・「相対主義」の弊害
→人それぞれで、絶対的な真理なんかないんだから、そんなもの目指さなくてもいいんだ」となって、「真理を求める熱い気持ち」を失ってしまうということ
・ソクラテス
→「相対主義」に対して、"無知の知"を唱えた:無知の自覚こそが真理への情熱を呼び起こすものだと考えていた
→ソクラテスの死:「この世界には命を賭けるに値する真理が存在し、人間は、その真理を追究するために人生を投げ出す、強い生き方ができるということ」の確かな証明であった。
・カント
→「真理とは、人間の上位の存在であり、生きとし生けるものをあまねく貫く普遍的なものである」という今までの常識を覆す考え方であった。つまり、カントは、真理と人間の立場を逆転させてしまった」
・サルトル:自由の刑
「むしろ、だからこそ、人間は、歴史に参加するべきである」と主張する。なぜなら、どの価値基準が正しいかわからないからって、何一つ選ばずにただ無為に人生を消費して生きていくよりは、間違っているかもしれないリスクを背負ってでも何かを選んで生きた方が、よっぽどマシだからだ。
・そんな時代に生きる僕たちは、労働の価値を見直すという歴史の転換期にきているのである。
・エピクロス
→「真の快楽とは、友愛である」
・ニーチェ
→「神は死んだ」
ニーチェは、自らの著作の中で、終末の時代──すべての価値観が崩壊した世界──を生きる末人と呼ばれる者たちの姿を描写している。末人とは、何も目指さずに生きている人間のことである。彼らは、ただ健康とよき眠りだけを求め、穏便に人生が終わることを願って、なんとなく生きていくだけの存在である。ニーチェは、近い将来、「神が死んだ世界」が訪れ、このような末人たちが現れるだろうと一〇〇年以上も前に予言しているわけだが、この末人の生き方は、まさに現代の僕たちに当てはまらないだろうか。
・ソシュール
→「モノがあるから、それに対応する言語が発生した」のではなく、「区別する価値があるから、その区別に対応する言語が発生した」ということである。つまり、言語とは、「存在をどのように区別したいか」という価値観に由来して発生するものであり、その価値観の違いこそが、言語体系の違いを生み出しているのである。


■全体を通して…

それぞれの哲学者が生きた時代背景をふまえて構築された哲学がある。
どの時代においても、「幸せってなんだっけ?」「真理ってなんだっけ?(そもそもあるんだっけ?)」という根源的な問いが発生しているが、結局答えは出ていない。出ていても時代が変わると、「そうじゃない」と反論が発生し、新しい論が発生し、気づくと「なんだか一周した…?」と思えてくるような議論が続いている。

ただ、だからといって、「みんなそれぞれ。考えたって仕方がない」と思考停止してしまってはいけない。

いまの時代に生きる「私」だからこそ、「私」にとっての哲学を持てるよう「問」を立て続け、考え続けることが大切なのだと思う。

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