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YouTubeについて思うこと その②

YouTubeをよく見るようになったのは6年ほど前。単身赴任で東京に住んでいたころからだと思う。もともと予定調和のドラマやバラエティーがあまり好きではなく普段からあまりテレビを見なかったが、部屋にテレビを置かなかったのもあって、赴任中の3年間は全くと言っていいほどテレビを見なかった。そんな自分にとって、好きなジャンルを好きな時間に見ることのできるYouTubeはとても相性がよかった。

やっと自分の時間ができたと、当時はとにかく片っ端から映画やアニメなどを見まくっていた。その頃から『YouTuber』という言葉がだんだん世間に浸透してきて、アンテナが低いオジサンの耳にもヒカキンやはじめしゃちょーという名前が聞こえてくるようになった。

いわゆる”YouTuber”の動画とはどんなものかと、当時試しにいくつか見てみたように思う。おそらく自身の好みに合わなかったのだろう、それらのチャンネルは今もほとんど見ていない。いわゆる『やってみた』系の動画は、それはそれで需要があるのはわかるが、自分にとっては学びが少なかった。そんな中で出会ったチャンネルが、中田敦彦のYouTube大学だった。

TVでよく知ってる人がやっているという安心感もあり何となく開いた、”エクストリーム世界史”に衝撃を受けた。歴史系の学習コンテンツを、芸人の話術で面白おかしく話す。身振り手振りを交えて、時には登場人物にキャラクターをつけながら話す様は圧巻で、今までニガテだった世界の歴史がすんなりと入ってくる。

次々と関連動画を漁り、ただただ感心する。今まで見たことのない世界がそこにはあった。YouTubeってこんなこともできるのかと奥の深さを知ったのを機に、それからの半年ほどは、他のYouTuberの動画も含めて研究するかのように見漁った。

コラボ動画という、YouTuber同士が互いのチャンネルに出演する企画などをきっかけに、様々なYouTuberを知ることとなる(後にこのような現象を『沼』と呼ぶことを知る)。沼をさまよい、なんとなくYouTube界での振る舞いが理解できだした。さて、自分は何をしよう?すでにチャンネルは開設済で、あとはコンテンツをどうするか。息子にどうやって背中を見せるかだ。

そんな時に、前のシリーズ(DJI Osmo Action を使い倒してみる!)で書いたような、転職→3種の神器GETという一連の出来事が起こる。ここでゲットしたカメラを使わない手はないと、試しに10倍速のただただ歩くだけの動画をアップしてみる。とにかく継続することが背中を見せるお手本になると、動画の編集は後回しにして、とにかくアップし続けるということを、とりあえず50本を目安にやってみた。

→その③へ続く


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