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打ち鳴らすは、久我山の鐘

いつも通り、快晴の駒沢。試合終了のホイッスルは、歓喜とも安堵ともとれる感情をもたらした。

やっと掴み取った。近いようで遠い、夢の舞台への切符。過去には、何度もするすると目の前から零れ落ちていった。その後悔を、情熱を、夢を、彼らは脈々と受け継ぎ、このピッチで体現してくれた。

僕はこれまで、周りの人からよくこのようなことを言われてきた。

「全国出られたり、毎回決勝まで進めたりするの、本当良いよな」と。

それは一ミリも間違っていない。本当に素晴らしいチームで、素晴らしい環境で過ごさせてもらっている。それは、選手だった時も、今指導者としても。

しかし、勝てば勝つほど負けるのは悔しい。これまでの久我山人生で勝った時より負けた試合の方が心には残っている。

高尾グラウンドで駒沢に負けた時、あのライ君が誰よりも泣いていた。なだれ込んでくる駒沢の応援団に死ぬほどむかついたし、こいつらに一生負けたくないと思った。

次の年も負けた試合だけはよく覚えている。明田君が、秋山君が、ヤマコーが、そこにいる全員が泣いていた。こんなに巧くて強い俺たちのヒーローが、昌平に歯が立たなかった。来年こそは絶対にリベンジするという後輩あるあるに、先輩達は悔しさをこらえて背中を叩いてくれた。

そして、3年生となった。東京4冠を引っ提げて、意気込んで臨んだ新シーズン、神様はあまりにも残酷な道を僕たちに与えた。パンデミック。世界中を恐怖と不安が覆った。この影響は対人接触が当たり前なサッカー、ひいては高校サッカーという青春の舞台に、小さくない歪を生んだ。

学校に行けない。練習ができない。大会が開催できない。エッセンシャルではないスポーツに目を向ける余裕など、当時の社会にはまだなかった。ましてや、たかが学生スポーツ。大切な青春の舞台よりも、人命が大事だと叫ぶ、声だけの大きい大人が沢山いたのをよく覚えている。

多くの大会がなくなった中で、高校生のファイナルとなる選手権の舞台を創り上げてくださった関係者の方々には心から感謝している。苦しい制約の中でも、またあのステージで闘えたのは本当に僕の誇りである。

それでも、あの年は苦しかった。これまで当たり前に行っていた声出しの応援はもちろん禁止。ボールを蹴ることで、チームを勝たせられるのは11人。他の150人以上もの選手は、ただ手を叩くことしかできない。

あまりこれは言いたくないのだが、僕は応援団長だった。応援団長だと言いたくないのは、それが試合に出られないということの比喩であるから。その唯一無二のポジションに誇りと悔しさを持ち続けていた。しかし、団長になった理由は明確。久我山を勝たせたかったから。そして、久我山を勝たせるという夢は、自分の足では叶わないと感じたから。そんなの久我山に入った時から分かっていた。

ともにプレーする天才たちからため息が漏れる度に。強豪の選手を相手に手も足も出ない度に。肩を並べていた仲間が上のステージで活躍する度に。

悔しかった。だけど、僕は久我山がどうしようもなく好きだった。たくさんの感動と情熱を与えてくれたから。さっき負けた試合の方が覚えているといったが、素晴らしい瞬間もたくさん覚えている。

大雨の中で修徳に大逆転したインターハイ予選。超絶ゴラッソで前橋育英を沈めた関東大会。史上最高クオリティだった選手権関東第一との前半。

ひとつひとつのプレーが僕の心を震わせ、生きる活力となった。だから、少しでも久我山の力になりたかったし、ヒーローたちに近づきたかった。

そして迎えた関東第一戦。西が丘はいつも通りの快晴。結果はご存知の通り、超大逆転負け。試合の内容なんか一ミリも覚えてないほど、目の前に迫った勝利の美酒と、高校サッカー生活が終わる恐怖の間で揺れ続けていた。

負けた後の李さんの言葉の内容も何ひとつ覚えていないけど、たぶん生まれた時くらい泣いたと思う。それほど込み上げてくるものがあった。別に悔しいとか悲しいとかじゃなかったけど、勝手に涙が溢れてきた。

それからどうするかは悩んだ。ア式もソッカー部も、サッカープレイヤーとして自分が分不相応なのは十分承知していた。

だから指導者として久我山に還ることを選んだ。もう一度久我山を勝たせたかった。もう一度あの青春を味わいたかった。

指導者として入った1年目。久我山としては苦しいシーズンだった。この年の3年生としては、毎シーズンチームの体制が変わっていた。間違いなく苦しかっただろう。それでも多くの人に感動を与えたのは間違いない。この年もやっぱり試合が終わった後にコウダイが泣いていたのが一番覚えている。選手もスタッフも色んな苦悩がある中で立派に走り切ったシーズンだった。

そして満を持して突入した2022シーズン。下馬評は帝京・成立。序盤は苦戦したけど、試合を、トレーニングを、重ねる度に強くなっていった。ここだけの話ですが、塩貝も中山も八瀬尾もあんなスーパーじゃなったんですよ。僕は3年の時に同じチームでプレーしていたんです。本当に手の届かないところに行っちゃいました(笑)。

そしてこれは僕だから言えることなのですが、今シーズンはトップ以外のカテゴリの選手も格段にレベルアップしています。T2,3は3年生がほとんどいない中で、下級生たちが常に成長を続け戦っています。そして、地区トップ・NS・Unity・フレッシュすべての選手がそれぞれのカテゴリでクオリティの高いゲームをやってくれています。来シーズンからも多くのニュースターが誕生するのは間違いないです。

そして選手権。苦しい時もあった。負けを覚悟した瞬間もあった。しかし、彼らはやり遂げた。3年ぶりに夢の舞台へ進むことが決まった。上手い久我山・強い久我山が全国に帰ってくる。

そして3年ぶりに帰ってきたものはもう一つある。それは久我山讃歌。共に戦う仲間の声が帰ってきた。しかし、重大な問題があった。3年ぶりということは、現役の選手たちは応援歌を知らないということ。あの“応援練習”は3年間息を潜め、選手たちは讃歌を一度も歌うことはなかった。基本的に久我山はお坊ちゃんなので、三密コンプリートの文化会館で、応援練習をするなんてアウトレイジなことはしない。

だから今日は僕がやるしかなかった。選手よりも声を枯らす頭のおかしなコーチになるしかなかった。3年越し、メガホンを手に見る駒沢のグラウンドは3年前の帝京戦と同じだった。勝てる気しかしなかったし。俺が歌えば絶対に勝てる。

そして、多くのOBが駆けつけてくれた。ともに声を枯らしてくれた。名前も知らないであろう後輩のために全力で叫んでくれた。それは保護者の方々も一緒。そして、将来久我山で活躍することを夢見る子供たちも一緒。たくさんの人の想いが間違いなく選手に届いた。改めて最高のチームだなと。
We are orange.

試合が終わった後にある保護者の方が目を潤ませながら、僕の手を握りながら、こう言ってくれた。「本当にありがとう。素晴らしい応援だった。感動した。」その言葉だけでも救われたし、選手以外にも僕たちの声援は届いていた。この歌声は聞こえているのだ。

このチームには確固たる信念が二つある。一つは國學院久我山としての「文武両道」。二つの道を極めることに意味がある。単に試合に勝つとか、良い成績をとるとか、そういうことではない。この二つの道を極め続けた先に、ひとりの人間として大きな成長が与えられる。もう一つの信念はサッカー部の「美しく勝て」。我々は試合に勝つ使命を背負いながらも、そのプレーで見る者を魅了しなければならない。ゴールにボールを入れる、ゴールを守る、その細部に美しさという、直感的で感覚的で非合理的なものを求めなければならない。それが人々の心を震わせる。久我山のサッカーが愛され続けるために、ここだけは絶対にブレてはならない。

第101回大会。新たな世紀の口火を切る大会にふさわしい戦士たちが久我山にはいる。戦士たちに俺たちの声は届いている。ヒーローはまだ夢を見せてくれる。選手、スタッフ、保護者、卒業生、学校関係者、久我山のファン・サポーターの方々、未来のある子どもたち。全員の力で久我山の鐘を日本中にとどろかせましょう。打ち鳴らすは、久我山の鐘。

やよ 打ち鳴らせ いざや いざ
久我山の鐘 打ち鳴らせ
青春の鐘 打ち鳴らせ
われらは若し また 強し
剛健 剛健 久我山 われら

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