いただきもの

 先週の中頃に私は臨床心理士の方とお話をした。私の話には母のことがどこからで絡まっており、母の死の受容ができていないのでは? という話になった。
 そうかもしれない。
 私の劣等感は母の死から始まったのかもしれない。
 私の不幸は母の死から始まったのかもしれない。
 ただ、それを認めることは苦痛を伴った。
 それでは余りにも母が可哀想だからだ。
 
 今日の私は深夜の3時に目を覚ました。寝れなくなった私は街へと繰り出した。元より何時間も歩ける健脚だ。歩き疲れたら自室へ帰り、寝れば良い。そんな風に考えながら色づく前の暗闇を歩んだ。
 漫画喫茶で好きなマンガを延々と読んでみようと思ったが、漫画喫茶はやはりゴールデンウィークのせいで満室であった。計算の狂った私は松屋で朝食を食べた。明け方の街には遊び終えた若者がたむろする。大声で家賃について騒ぎ立てる彼らを横目に私はカレーを食した。
 5時にもなると神社が開く。
 かつて占いで神社や水辺から力を貰えると言われた私はそれを思い出した。なので、そのまま近くの神社へと向かった。
 世界は色付き、澄んだ空気は色彩を鮮明に見せる。境内の晴れた空気は私の膿んだ思想を濾してくれるようか感覚がした。
 この神社には先日に転職活動がうまくいくようにと祈願した場所であり、私は望み通りに職を得る算段ができた。私の敬愛する先生に弟子として迎え入れていただけるのだ。
 そのことの報告は以前にしたが、今日は心身の健康を祈願する。
 私は今、うつ病に苦しんでいる。
 夜は寝れず、逆立つ神経は物音や肌に当たる物に過敏だった。部屋にいると脳みそに苔がむしたような感覚がする。
 かと言って、身体を休めなくてはめまいで世界が廻る。
 そんなギリギリの生活を今は送っていた。

 境内をひとしきり歩いた私は少し座りたくなった。ふと、普段は全く気づかない道があることに気づいた。
 二羽の鴨が池で遊ぶ。その鴨たちを見ていたら気づけた道だ。儲け物だと思う一方で、私は何かに呼ばれているような気がした。
 私は母の死後に直感が異常に研ぎ澄まされることがある。今回もそれに近い何かを感じた。
 竹を敷き詰めた歩道の先にはベンチがあった。
 なぜだか当たり前のように感じながらも私はベンチに座った。
 目の前の池には赤く熟れた鯉と、またしても二羽の鴨がいた。
 比翼連理という言葉を思い出すと共に。
 その鴨は親子のなのかもしれないとも思った。

 母の死を受け入れたくて私は数日考え続けていた。あの人はどれほど素晴らしい人で、どれほど私にとって大きい存在だったのかと。
 私の物心が生まれてから母が死ぬまで。その期間を慣れた感覚で振り返る。普段は涙が出ないほどに慣れたこの行為が、今日は涙を伴った。
−−お袋が死んで何度も泣いた。悔しくて悲しくて何度も泣いた。
−−けれど、あの人がお袋だからという理由で流した涙は一雫もない。
 これが全てだと思った。
 感謝はしている。懺悔もしている。ただ、それ以上に言葉を持たない赤子の知性が導き出すかのような曖昧模糊な言葉こそが私の答えだった。
 ぼんやりとした感覚だ。
 もう一度、振り返る。
 保育園へと向かう最中に見上げた母の背中。
 合わない靴で靴擦れしながら母と向かった小学校の入学式。
 夏休みに各駅停車で6時間もかけて、母と共に向かった祖母の家。
 入院した母。そんな母が点滴をしながら私と握手をしたこと。その翌週にはもう立ち上がれなくなったこと。
 末期の病室で冬休みの宿題をしていると、母に死ぬことを謝られたこと。下手くそな慰めを返したこと。
 亡くなった母がもう苦しまないことにホッとしてしまったこと。
 焼かれて骨になり、さらには骨壷に納めるために砕かれた母。
 真っ暗な墓石の下に納められる母を。

 涙は止まらないが、近くに母がいるような気がした。これは悲しくて泣いているわけではない。自分でもなんで泣いているかよく分からないが。私はあの人が母で良かった。それで心にずっと穴をやった埋めれた気がした。
 世界はより青々と色づく。
 5月の空は青く高く。暑すぎずかといって冷えない5月が好きだ。私はそんな月に生まれた男でもある。
 母に愛されていたことは疑いのない事実としてずっと胸にある。そして、母の死から18年を経て、私も同じく母を愛せていたということに気づけたのだった。

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