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シャッターを押すのは最後の総仕上げ

何度も同じモチーフに向かうことが出来るかどうか、それが写真の質を決めるひとつの条件だと私は思っている。

何度も同じモチーフに対してシャッターを切るということは、絵画で言えばデッサンの段階。試行錯誤しながら理想の条件へ近づけていくプロセスだ。

光線状態は、朝がいいのか。天気は快晴、それとも薄雲がいいのか。距離はどの位が適当なのか。季節は、春夏秋冬どれが適当なのか。シャッタースピード・絞り・ISO…。

そして、被写体観察。よく被写体を知らなければ、薄っぺらな写真しか撮れない。何も被写体のことを知らぬまま、たまに偶発的に見た目いいものが撮れることがあるが、それはすぐにメッキが剥がれてしまうだろう。

さらに、もうひとつ決定的なことがある。それは「工夫をする」ということである。言い換えると、道具の使い方とも言えるかもしれない。私はずっと、自分の見たモノしか信じないし、自分の見たモノ・経験したことが一番大切と思ってきた。半年かけてカワセミを理解し、筋道と仮説を立てて詰め寄ってきたが、その前提がもろくもファインダー越しに今日見事に打ち砕かれた。

何が起きるか分からないのに、なぜ、先入観でそう思ってしまうのか。自然に対して、先入観は捨てるべきである。カワセミを追い続けて、そう思うのだ。

少し話は遠回りしてしまったが、撮影に関して言えば、先に書いた準備が
98%で、シャッターを押す作業はほんの2%に過ぎない、と感じる
今日この頃である。






写真は、最後のシャッターを切る瞬間のみクローズアップされ、常に楽に撮っているものと思われがちですが、その前のプロセスにかなりの部分を割いているものです。暖かいお気持ちで、サポートいただけるご縁がありましたら、よろしくお願いいたします。