ウサギと亀と自己分析

近、「自己分析」という言葉の価値を見直している。
きっかけはオードリー若林さんが、自己分析に着いて話していたのを聞いてからだ。

自己分析と内省が完了してる。
この部品が欠けてるし、ここの部品が足りないからみんなと違う……人見知りとかだったりする理由ここか、みたいなのがわかってきたぐらい。
だから他人の車が気になってしょうがないのよ。この人どういう構造でって。だから『あちこちオードリー』で(ゲストの)ボンネット開けまくってんのよ俺。


この話を聞くまでは、自己分析という言葉は就活時代の苦い思い出くらいに思っていたのだけれど、
若林さんほどの人でも、年齢がいくつであっても、自己分析ってしていいものなんだ、と気づいた。

と、そんなことを考えていたら、ふとイソップ物語のウサギと亀の話を思い出した。

この話って、
「ウサギみたいに調子乗らないように気をつけないと」とか、
「亀のようにコツコツやることが大切」
みたいな教訓に落ち着くのがよくあるパターンだと思うのだけど、

自己分析の話と絡めて考えてみたら、
「自分がウサギだろうと亀だろうと、それ自体に良い悪いはない。自分は、お調子者であるウサギだ、とちゃんと認識した上で行動するかどうかが大事」
ということなのではないか?

つまり、自己分析をちゃんと出来てるか。出来たうえで、取るべき行動を取れてるかが大事。
ということなのではないか?
と思った。

となると、亀から学べることは実は、
「ゆっくりでも、一歩ずつコツコツと」
ではなく、
「亀のように、自分は進むのが遅い。けれど、継続は得意。と自分の特性をわかった上で、それを活かしながら生きようね」
ということかもしれない。


そういえば、USJをV字回復させたスーパーマーケター森岡毅さんも、自己分析(自己認識)が大事とたびたび書いていた。

https://youtu.be/VdvgbdaYNVM


林先生との対談でも、
「ナスビはナスビにしかならない。キュウリにはなれない」

その上で、「立派なナスビになるしかない」と言っている。

俺もここ数年は、頑張って出来ることと出来ないことがあることや、逆に、頑張らなくてもそれなりに出来てしまうことがあることを知りつつあったけど、
オードリー若林さんの話と、森岡さんの話を聞いて、
もうちょっと意識的に「自己分析」をして、自分の得意を活かしてみようと思う。


俺はどんな特徴を持った、ウサギなのか亀なのか?
そもそも、取り組むものによって、ウサギの時もあれば、亀の時もあるよなぁ。

なんてことをダラダラ考えてみたいと思います。


おしまい



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