見出し画像

スケボーのパーク女子決勝、岡本碧優さんの滑りに、大切なことを教えてもらった

オリンピックのスケートボード、パーク女子決勝、ものすごくよかった。


まじめに見るつもりは特になかったのに、選手ひとりひとりのパフォーマンスのかっこよさに、いつのまにか釘付けになっていた。


その中でも胸を打たれたのが岡本碧優(おかもとみすぐ)選手だった。


3本滑るうちの、3本目。
「気持ちがプレーに現れている」とか「魂込めた」とかまさにそういう言葉がぴったしでした。

スタートした瞬間から「何か違う…」という空気感。スピードもジャンプの高さも、素人目に見てもこの日1番のプレーでした。

実況やその後の解説を見ていて、やはりと思ったのですが、

「うまくまとめれば、メダルは獲れたのに、果敢に大技にチャレンジ」しているのが、ものすごく伝わって来ました。


結果的に転んでしまい、メダルは逃してしまいましたが、プレー直後に出場者たちに担がれているのを見て、敵ではなく仲間というスケボーの雰囲気だったり、本当は転んで悲しいし悔しいから担がないでと思ってるのにそれでも強引に担ぐ仲間に根負けして笑っている岡本さんの姿にすごく胸を打たれました。


日刊スポーツのこの記事が、短いながらもとてもいい記事でした。

●「国も順位もなし」がスケボーの常識 このカルチャーで「五輪が変わる」

この中でも書かれていますが、岡本さんのプレーは、

結果としてのメダルは求めても、最終目標ではない

という姿勢がものすごく伝わって来ました。


それと同時に、自分はどうだ、と反省しました。


「これだけやっとけば、とりあえず最低限の合格ラインは越えてるからいいでしょ」


そんな生き方になっていないか、と。



昨日の岡本さんは、
「無難におさめればメダルは獲れたけれど、それよりも難易度の高い技にチャレンジ」していました。


それは、
「メダルよりも大事なものがある」
「それは、自分との闘い」だったり「仲間との信頼」であるように僕は見えました。


本当に僕の推測でしかないのですが、

「ここで、確実に出来るそこそこの技をプレーしてメダルを獲れたとしても、その後の人生で、一生後悔する」

という風に見えました。

おそらく、「後悔」というよりは「心から喜べない」というものな気がしますが。


多分、岡本さんは「無難にプレーしてメダルを狙うか、大技にチャレンジするか?」の葛藤もなく、「大技にチャレンジする」を選んだ気もします。


「まだ15歳だから、欲もなく、無邪気なんだ」

なんてことも思ないくらい、

「私は、ここで最高のプレーをしたい」

という強い気持ちが見えました。



そして、その夜、オリンピックの野球準決勝で日韓戦が行われました。

日本は、強打者がバントをしたりと、確実に点を取りに行くという闘い方をし、見事に勝利を収めていました。


この試合はこの試合で、さすが日本野球!とすごく感動したのですが、昼間見た岡本さんのプレーとは対照的だなと思いました。


それはまさに「大人の」野球という感じがしました。


何がなんでもメダルを取りに行くという姿勢。


なんというかスケボーと野球では「メダルに対する価値観が違う」と感じました。


僕は特に深く考えてはいなかったのですが、直感的に、サッカーや野球ではとにかくメダルを取って欲しいと思っていて、スケボーではメダルよりも思い切った(守りでない)プレーをして欲しい、と思っていました。


だから、どっちがいいとか悪いとかではなくて、どちらの姿勢もプレーもかっこいい。


ただ、同じ"オリンピック"という大会の"メダル"という物質に対して、こんな価値観の違いがあることは、新たな発見でした。



僕は人生において無冠続きではありますが、まだまだ挑戦したいものがあります。


今回の岡本さんのこの姿は、これからの自分のひとつの大きな指針となりそうです。


あぁ、素晴らしい!!


岡本碧優さんの紹介


読んでみて少しでも「いいな」とか「会ってみたいな」と思ったらぜひ会いに来てください!!