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墓じまいの先に

今年の春、お墓のことばかりを発信するウェブサイトを、個人で立ち上げました。

「なんでお墓?」と聞かれることがあります。

きっかけは、2年前に初めて行った、あるお墓参りだったのかもしれません。実はこのお墓、父方のお墓の墓じまいに伴う改葬先だったのです。

私の父は、熊本県出身です。長男でしたが、大学進学と同時に上京し、働いて家庭を持って、父なりの考えで故郷に戻る気はありませんでした。私自身も、祖父母とまともに会った記憶がなく、父の故郷はずい分遠いものだったように思います。

地元に住む父の妹が、実質的なお墓の管理者となってくれていたのですが、高齢となり、また熊本地震による影響もあって、ついに墓じまいの相談があったようです。その頃、父は病気を発症していたため、対応したのは母でした。

母は父を置いて出向くこともできず、東京にいながらにして墓じまいの手配をしたようです。かかった費用は父と妹二人で持ち合い、無事に墓じまいを終えたということだけ、母から報告を受けました。思えばたいへんな作業だったに違いありません。

父はそれからしばらく後に亡くなり、東京にある母方のお墓に入ることになりました。父にとっても家族にとっても、それが最良の選択だったのです。

納骨を終えてしばらく経った頃、母から「茨城のお墓に連れて行って欲しい」と言われました。

「なぜ茨城?」

聞けば、熊本で墓じまいをしたご遺骨が、茨城にあるお寺の永代供養墓に合祀されているというのです。茨城は、父もご先祖も縁もゆかりもない土地でしたが、墓じまいの業者さんの提携先なのだといいます。

墓じまいを担当した母は、ずっと気にかけていたのでしょう。お参りもしたいし、諸々の報告もしておきたいということでした。

「ならば行ってみよう!」

秋晴れのある日、小学生の娘も連れて、茨城へ車を走らせました。道中で初めて、私は墓じまいの詳細と、母に気苦労をかけていたことを知ったのでした。

道に迷いながらもなんとか辿り着いた先に、報告書にあった改葬先の合同墓「まごころの碑」はありました。造成されたばかりの広い土地の一画に、どっしりと建っていました。

周囲はのどかで開放感にあふれ、都会っこの娘は歌ったり踊ったり、とても嬉しそうでした。母も私も、ここへ来れたこと、きちんと弔われていることに安堵して、心をこめてお墓参りをしました。

その後は霞ヶ浦や水戸まで足を延ばし、盛りだくさんの日帰り3人旅は、みんな笑顔の思い出となりました。

お墓についてちゃんと知りたい、と思ったのは、身近なお墓に関しても自分があまりに無頓着だったからです。

このお墓参りがなかったら、私は祖父母という近い先祖について、娘に伝えることもできなかったでしょう。

いま改めてお墓に目を向けてみると、文化的な興味も社会的な課題もたくさんありました。誰もが関わるお墓ですから、その接点を少しでも増やせたら、とさまざまに発信を続けています。


この記事は「第2回墓デミー賞」への応募作文として書いたものです。

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