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#53 壁のコラージュを剥がした感想

 20歳の頃、コラージュにハマっていた。

 元々、コラージュは好きだった。初めて作品を作ったのは中学か高校か……忘れたけれど、美術の授業だったことは間違いない。いろんな素材を使うのは面白いし、あのゴチャゴチャ感が堪らない。大好き。
 だから専門学校時代、フォトコラージュの課題が出た時はテンションぶち上げで。内心で踊り狂いつつノリノリで完成させた。講師からは高評価を貰い、同期からは引いた眼差しで見られた。たぶん、超細かすぎる写真群のせいだ。

 作品は「後世への参考資料にする」だか「見本にする」と言われて回収されしまい、手元には戻ってこなかった。けれど、テーマと構成を考え、大小様々な写真を切り出して貼り付ける苦労と愉しさは今でも忘れられない。

 フォトコラージュの課題でハイになった私は、実家の私室の壁をコラージュしまくり始めた。
 材料は主に写真である。自分で撮影したスナップショットは勿論、雑誌や新聞の切り抜き、ポストカード、パッケージ。マスキングテープやリボンも使い、真っ白なキャンパスにカオスを構築した。コラージュの中にコラージュを混ぜ込んで合わせ鏡っぽくしたりした。

 ポスターの類いを貼った経験ゼロな私が、よくやったものだなぁ……と、今の私は思う。相当な勇気が必要だったのは確かだ。ハタチにして、めちゃくちゃ悪いことをしている気分。あれは誰も足を踏み入れていない雪原を踏み荒らす時の感覚に似ている。罪悪感が凄まじくて、同時に何とも言えない快感が全身を巡っていた。

 そんな若かりし頃の愚行を先日、一思いに引き剥がした。外国の子供がプレゼントのラッピングを雑に破るように。ビリビリビリッと景気良く、乱暴に。

 十数年ぶりに白を取り戻した壁を見、私は淋しさを感じなかった。そして意外なことに、恥じらいもなかった。黒歴史にも等しい作品を前にすれば幾つになっても赤恥という名の処罰を受けると思っていたのに。今回も腹をくくり、覚悟して挑んだのに。

 寧ろ、湧き起こった感情は哀しみ。ただひとつ。
「あ〜もうこんな行動できないなぁ〜」という。齢を重ねた結果、つまんねー大人になっちまったなぁという哀しみ。

 それを『成長』と呼ぶか『退化』と呼ぶか、はたまた『衰退』と呼ぶのか。ひとそれぞれだと思う。けど、私はどんな呼び方もしたくない。たぶん認めたくないんだろうね。どんなラベルを貼っても哀しいから。ずっと保留にしていたい。
 

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