なぜ政治家は失言をするのか?について考えてみた

有名な渡辺淳一著の「鈍感力」を初めて読んだ。なるほど、自分も生きて来た中で共感出来ることがたくさん書かれていた。
だがそれとは別に読み終わった後にふと思ってしまったことがある。

昨今頻繁に「失言」が報道される。立場的に多く取り上げられるのは政治家の方々だ。
そこで思った。なるほど、政治家はある意味鈍感でないと務まらない仕事だ。推しも強くなくてはいけないし、打たれ強くなくてはいけない。一種の「カリスマ性」というのもいわゆる繊細で敏感な人には持てないであろう。

一方で「これを言ったら(言われた対象は)どう感じるだろう?」という気付きには、瞬時に自分とその対象とをシンクロさせる敏感な共感力が必要だ。鈍感とは真逆の要素だ。

ところで私にはゲイの友人がいるが、彼は子供の頃から何故か男の子に惹かれていて、幼少期からずっと「どうしてだろう?」と疑問に思っていたそうだ。大きくなってもそれは変わらず、自分が何者なのかわからない不安な時期が続き、遂にゲイの先輩に導かれてその扉を開けた時、「そうだったのか!」とようやく目の前の霧が晴れたような気がしたという。

そんな彼の長い間の悶々とした苦しみを、少しでも自分に置き換えて感じてみたならば、LGBTに対して心ない言葉を投げかけることことが出来るだろうか?

多分政治家の先生方も、「失言防止マニュアル」を勉強したり、セミナーを受けたりされているに違いないと思う。でもそうやって文字と頭で学んでも、少しでも自分に置き換えてその痛みを感じない限り、失言は繰り返される。

多分原因のひとつは、日本の政界はいまだ完全に男性社会で、「男性脳」が横行していることだろう。

私の愛読書、黒川伊保子氏の「恋愛脳」の中に、男性と女性の脳は全く別物、と説明されている。詳しくは是非本書を読んで頂きたいが、わかりやすく言うと、昔からよく取り上げられる、奥さんが熱を出して寝ているのに、第一声「俺のメシは?」と聞く旦那問題。実際これをされた私の友人は、真剣に離婚を考えたと言う。

一方女性だったらどうか?というと、例えば私と女友達が旅行に行く予定を立てていたが、出発直前になって彼女が急病で入院してしまった。その知らせを聞いた瞬間私の頭の中では「えー、大変。でもお金払ってるのにどうなるんだろう?」「でもそんなこと考えるなんてひどいよな」「大体彼女が病気で一番辛いんだから」と瞬く間に考えが飛び交い、最終的に「大丈夫?全然気にしなくていいから、とにかくゆっくり治療して」と言う言葉にたどり着く。これ、女性ならごく普通のことだが、この「瞬間的に思考が飛び交う」というのが男性脳には苦手らしい。「失言」も明らかにこの能力が足りないせいで発せられるのであろう。

もちろん男性脳にも素晴らしいところが沢山あるのだが、現在のような社会において、特に政治家においては「瞬間的に思考を巡らす」ためのトレーニングが必要なのではないだろうかと思わずにいられない。

渡辺淳一氏は「鈍感」と「鈍感力」は違う、と書かれている。私が思うに「他人→自分」は鈍感に、「自分→他人」は繊細に感じることが出来る人=「鈍感力のある人」ではないだろうか?そんな人なら皆んなに愛され慕われるに違いない。

強いリーダーシップを持ちながら、人の痛みを我がことのように感じられる、そんな人に国を引っ張って行って欲しいものである。


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