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嫌いだった大人

大学を卒業して、極寒の氷河期の中なんとか就職した。恥ずかしながらその会社は母に知り合い経由で紹介してもらった会社で、決まったのはもうコートが必要な頃だったから、無職生活に片足を突っ込んでいたと思う。皆と同じように就職活動をし、自分が本当に勤めたいと思える会社の最終面接までは何度か行ったが、叶わなかった。まだフリーターという言葉が自由なライフスタイルを表していた頃だったので、プログラマーなどとしてアルバイトをしながら、ミュージシャンを目指そうぐらいに軽く思っていた矢先のことだ。

「コンピュータ」を仕事にするからには、どのようなプロフェッショナルが集まっているのかと期待して入ったのだが、早々に裏切られることになる。デスクには当時の最新技術であるウェブや電子メール、Java、PHPに関する参考書はなく、あったのは顧客の事務に関する雑誌や関連法規を解説した堅苦しい本などだった。別の意味でプロフェッショナルな集団で、職業プログラマーというのはこういうものなのだと納得したものだ。結局彼らの業務に一切興味を持つことができず、それでも7年間勤めて他の会社に移ることになる。

会社に勤めて驚いたことの一つは、全く働かない人がいることだった。誰でもたまにはこっそり怠けたりするものだが、何もしない人がいるのである。本当に何もしないのであれば無害だが、そういう人に限って、なんとか長といった肩書を持っているので、何かにつけて障害になるのである。習慣にこだわり、変化を悪とするような連中だ。

さらに厄介なバージョンも存在する。次に働いた会社はいわゆる外資系で、「俺がけつ持つから、お前らは好きなことやれ。気概を見せてくれ!」というタイプだ。変化を好むふりをしながら、プロセスにこだわり、もっともらしい説明を求めてくるので、何も進むことはない。そういうパフォーマンスは忙しい外資系のエグゼクティブには響くから一時的には持ち上げられるのだが、結果が出ないので、早々に会社を去るか、バックオフィスに移ることになる。

いつの間にか、私も以前嫌っていた人たちと同じ年齢になっていた。自問するのは、自分もそういう人たちと同じになっていないかということだ。何かにつけて手を動かすのは面倒くさいし、変化は自分にとってだってストレスだ。誰かがやってくれないかと思うこともある。

幸いニセコの自然はそんな私のダラけた心を許してくれそうもない。放っておけば庭は背丈より高い草だらけになるし、冬は除雪をしなければ生きて行けない。ニセコには自分のビジネスを持っている人たちが多いが、助けてくれる業者が身近にいるわけではないので、自分でやるしかない。バブルと揶揄されるニセコのビジネスの中心にいる人だって、飲食店のトイレの自動水栓を自分で修理したり、アイスクリームのレシピに工夫を凝らすのだ。この先も妻と仕込みに汗を流し、大雪の中ビールを納品して回ったりする生活を続けていくのだろう。