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神(カミ)の社(ヤシロ)

現代では、神社(じんじゃ)と呼んでいますが、その語源は「カムヤシロ」から来ています。

漢字は、中国の「漢王朝」時代に作られた文字で、日本には「飛鳥時代」頃から使われ始めました。
ですので、それ以前に使われていた日本語の「音のヒビキ」には、漢字を当てて、現代まで使用されています。
この漢字を、日本の常用語として扱い、国語として義務教育が行われ、試験によるランク付けまでしているこの国と、それらに振り回されている国民性を、私を含めて、少し滑稽(こっけい)にも思えます。

本来は「カム(kamu)」と言う「音のヒビキ」でしたが、「神」と言う漢字を当てて「カミ(kami)」と響かせるようになり、さらには、「神」を英訳して「God」と位置づけた事で、古来より伝承されている日本の「カム」が、「God」となってしまいました。

また、各カムの働きを「神話」(古事記)にした事で、私達は「神」を「偶像化」して、信仰の対象として来たと、私は考えています。

カム(kamu)と言う音の思念には、

カ(ka)=現象(カタ)の根源・アマ始元・生命根と生命・ちから
ム(mu)=6次元・広がり・六方環境

このような思いがあり、現象(カタ)の根源は、アマ始元のちからが全方向に広がって創造されている事が分かります。
アマ始元とは、私が目にすることが出来ない「カタ(現象)世界」の領域を指し、簡単に言うと、私達の「心」や「気」や「念」などの範囲を言います。
科学的には、「生命粒子」「電気粒子」「素粒子」の世界を指しています。

ヤシロ(yasiro)の音の思念には、

ヤ(ya)=8次元・飽和・還元・極限
シ(si)=示す・現象・死
ロ(ro)=空間・抜ける・まとまる

とあり、飽和や極限の現象を示す空間である事が分かります。

カムヤシロ(神社)とは、私達がいる「光に世界」の、目には見えない領域の粒子が飽和する場所と捉えることが出来ます。

今回は、有効且つ、カタカムナで味わう「神社参拝」を実現する為に、「カムヤシロ(神社)」の捉え方を説明して行きます。


神(カム)とは?

私達生命体は、「光の世界」に存在しています。
そして、この「光の世界」の領域を「天照」(アマテラス)と呼び、この領域全体のチカラを「大御神」(オオミカミ)と言います。

この「大御神」(オオミカミ)のチカラと、様々な「神(カミ)」「主(ヌシ)」「尊(ミコト)」のチカラを重合しながら変遷して、私達は生きています。

また、このチカラのメカニズムが、「ヒフミヨイムナヤ」「コト」であり、「八咫鏡(ヤタノカガミ)」に映し出し、拝殿場で、そのチカラの放出と受け入れをしています。

そして、このカム世界のチカラを、カタ世界に現象として映し出している事を「神(カミ)」と呼びます。

長い歴史と漢字文化の参入で、カム(kamu)とカミ(kami)が「神」で曖昧(あいまい)となっていますが、目に見えない光の世界を「カム(kamu)」、カム世界を、目に見える光の世界へ現象させるチカラを「カミ(kami)」として理解して下さい。


天之御中主(アマノミナカヌシ)

様々な「神(カミ)」「主(ヌシ)」「尊(ミコト)」のチカラを、重合しながら変遷して、私達は生きていると上文で述べましたが、この重合しながら変遷させるチカラを「主(ヌシ)」と言います。

私達は様々な「四相」を持ち、その重合により、外面や内面の性質を作りながら生きています。
これが個性となり、個々の特徴を創造しています。
これら「四相」を創造するチカラが「主(ヌシ)」なのです。

この様々な「主(ヌシ)」の活動は、カタ世界にある目に見えない生命粒子「タカミムスヒ」と、カム世界の生命粒子「カムミムス」が、左回りのカタカムナでそれぞれが活動しており、これら「四相」の全ての領域を動かしているのが、「天之御中主(アマノミナカヌシ)」となります。

神社に於いては、「鳥居」の内側がその領域となりますので、鳥居を潜る前には、自分の「祈願」や「参拝目的」を明確にして、この領域に進んで行くことをおすすめします。
曖昧(あいまい)な気持ちでこの領域に進むと言うことは、曖昧(あいまい)で優柔不断な「四相」を創造してしまうので、結果的に、自分の祈願する現象に近づけたとしても、不本意な環境が創造されてしまうからです。

日常生活に於いても、この「天之御中主(アマノミナカヌシ)」の領域を意識する事により、自身の生命活動を、潤滑に進めて行くことになります。

「天之御中主(アマノミナカヌシ)様、お助け頂き、有難う御座います」
と、聞いたことがある人もいるかと思いますが、自分自身の「四相」や、その「願い」を叶えている「主(ヌシ)」への感謝を伝えているものです。
「今(イ)」、自分が個性を持って生きている「証」が、この「主(ヌシ)」の活動となります。


伊邪那岐(イザナギ)と伊邪那美(イザナミ)の「尊(ミコト)」

私達の生命粒子は、いくつかの電気粒子がまとまり形成されています。
少し難しいですが、電気粒子のしくみを、カタカムナ的に説明致します。

球体の表面は、「クラト(kurato)」と言われる状態から始まります。
クラト(kurato)には「自由」の思念があり、そこにはチカラも法則もないい状態で、「マクミ」(摩擦)「カラミ」(絡み)が自由に行われて、「イカズチ」(雷)が発生しており、これらを「ミツゴの活動」と言います。

そして、「ミツゴの活動」が極限(ヤ)を向かえると、「陰の性質」を持つ「国之常立」(クニノトコタチ)と、「陽の性質」を持つ「豊雲野」(トヨクモノ)の、「2極化」してきます。

そして、「国之常立」(クニノトコタチ)の領域では、宇比地邇尊(ウヒヂニミコト)と須比智爾尊(スヒヂニミコト)の活動が対となり、角杙尊(ツノグヒミコト)と活杙尊(イクグヒミコト)が対となって自由に動き回り、陰の性質が2極化します。

同様に、「豊雲野」(トヨクモノ)の領域でも、意富斗能地尊(オホトノヂミコト)と大斗乃弁尊(オホトノベミコト)が連なり、淤母陀琉尊(オモダルミコト)と阿夜訶志古泥尊(アヤカシコネミコト)が連なり、陽の性質が重合を始めます。

この2極化した陰の自由な性質と、重合した陽の性質の働きによって、粒子性の「伊邪那岐(イザナキ)」と、波動性の「伊邪那美(イザナミ)」の尊(ミコト)のチカラが生まれて来ます。
そして、この2つのチカラが電気粒子(マカタマ)を生み出し、ミクマリした生命粒子を誕生させる事になります。

因みに、「伊邪那岐(イザナキ)」と「伊邪那美(イザナミ)」が、一本の木の周りを、右や左に回り、最終的に合致して、新しい神様を産み落とす、古事記による神話をご存知でしょうか?
これは、右回りで活動する電気粒子と、左回りで活動する生命粒子を説明しており、この2つが合致して、新しい生命体へ導く神(カム)が創造される様子だと私は考えています。

神社には、「ミツゴの活動」を偶像化ものに、「注連縄(しめなわ)」や「紙垂(しで)」があります。


共通する神社(カムヤシロ)の構造

「格式」や「お祀りする神」「系統」など、様々な形式で存在している神社ですが、その数は全国で約8万8000社以上あると言われています。
そして、この全ての神社には、カム的に共通している事があります。

それは、鳥居の内側は「天之御中(アマノミナカ)」の「主(ヌシ)」の領域となります。
この領域を動かす事が、神社参拝では最低限(広範囲)の活動領域になりますので、自分のミナカ(中身)をしっかりと意識することで、「願い」の現象を創造する為の第一歩となります。

そして、この光が照らされているミナカの領域の、電気粒子や生命粒子を活動させる為に、「手水舎」や「狛犬」などが設置されています。

拝殿には、八咫鏡(ヤタノカガミ)が設置されおり、「光の世界」の目に見えない領域を映し出し、「天照(アマテラス)」の世界の、「大御神(オオミカミ)」を創造しています。

各所には、「注連縄(しめなわ)」「紙垂(しで)」が設置されており、「マクミ」(摩擦)「カラミ」(絡み)「イカズチ」(雷)の「ミツゴの活動」を示しており、電気粒子の活動を促進させています。

これら3つ構成で、神社は建てられており、私達の生命粒子が「フトマニ」されるような構造になっています。

また、各神社でお祀りされている「神」「主」「尊」(通称:神様)が居ますが、これらの意味や働きを知ることにより、自分の「祈願」の内容を合わせると、より効果的な神社参拝となり、祈願した環境の現象が可能となります。


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