働くひとの健康に関わって13年
今回のnoteは、なんとなくふと思ったこと、この13年を振り返ってみて気づいたことをダラっと書きますね。山田のことを知っている人も、知らない人もこんなこと考えていた13年なんだと思ってください。
最初に
皆さんの経験で、これまで10年以上同じことをやり続けた人っていますか?それは仕事でも習い事でも何でも良いのです。10年以上やり続ける間には、様々なことが起こっていたはずで、辞めずにやり続けられていることは奇跡としか言いようがないのです。
私も、これまでの人生で10年以上やり続けたことはありません。強いて言えば、中学生から始めた柔道は、結果的に大学でもやって約10年くらい経っていたかも知れません。黒帯2段ですが、あまりにも弱すぎて、柔道のもつ楽しさは理解していますが、本腰でさぁやろうかとはならないのです。
そんな私が、13年間挑戦し続けていることがあるのです笑
凄いことですよね。13年間もやっています。
それが「働くひとの健康」なのです。
なぜ私は13年間もやり続けているのだろうか
10年以上にわたってiCAREという会社で、クラウド開発や産業医、産業保健師といった専門家を集めて事業として尽力してきました。絶対に成功しないなんていろいろな人からも言われてもやり続けました。
2021年からiCAREは従業員数を年々倍増しながら様々な事業面、組織面での問題に直面しました。いっときは、CEOを辞める寸前まで気持ちも意欲も落ち込み、何のためにやっているのだろうかと悩んだ時期もありました。
ただただ、これまで使命感だけでやっていたと思っていました。
そんなキツイ思いをしなくても医師として、産業医として患者さんやお客さんと接して得意な仕事をすれば、プライベートで子供4人の教育費で毎月銀行口座を気にする必要もないのにとさえも思っています。
iCAREでの挑戦を初めてから私は数少ない友人を何人もなくしてきました。彼らは、私のために尽力をしてくれましたが、結果的にそれが叶うことなく、友人としての関係もなくなることへの悲しみは、とても大きなものでした。
それなのに、なぜ私はやり続けているのでしょうか。
何か未練があるのでしょうか。
色々と自分自身と向き合い考えた結果、答えはとても簡単でした。
「働くひとの健康に関わることが何より大好き」
なんだと。
働くひとの健康と私との出会い
それこそ働くひとの健康を最初に意識、経験したのは、心療内科の外来でした。それまでの総合内科医として、急性期の総合病院や久米島病院という離島医療で、働くひとを患者さんとして診てはいました。ただそれは、病気を診ているだけで、本人の仕事等を診ていなかったと今では思います。
慶応ビジネス・スクールに通学するために沖縄から横浜に戻ってきてから心療内科の外来もトレーニングとして始めました。心療内科の外来には、本当に多くの働く世代が不眠や抑うつで来院され、9年間にわたって多くの方々を診させてもらいました。当時のわたしは、働くことはとてもわくわくするものなのに、なぜこんなに多くの方が来られるのだろう?と疑問に思うことが多く、働く場所に医師というものが存在すると初めて知るのです。そこから産業医の資格をとり、師匠の浜口先生の私塾の門を叩いたのです。それが2011年のことです。
産業医としてのやりがいと成長
浜口先生というレジェンドから産業保健を体系的に教えてもらい、その背景となる歴史や企業における道理を知ることで産業医としての知識、技術は飛躍的に成長をしました。本当に、「飛躍的に」成長しました。
背景として、心療内科や総合内科をやっていたことも少なからず後押しし、さらに多くの人事担当者と懇意にすることで組織の問題や疑問を少しずつ理解し、産業医としてどう振る舞うのが組織と働くひとの健康の問題解決に繋がるのかを教えてもらいました。
ちょうどその頃、病院の経営再建に関しても経営企画室の室長として仕事をして、はじめて部下をもつという経験もさせてもらいました。個の力ではなく、チームの力こそ重要という中で、うまくいかない時期もあり、マネージャーとして苦しんだ記憶もあります。
これらすべての経験が点と点で繋がり、産業医としての力になったと思います。企業ごとに王道のやり方はあるにせよ、進め方は異なる。それをどう伴奏しながら個別対応で信頼を獲得しながら仕組みを変えていけるのか、結果として組織力が高まっていくことへの喜びは大きなものでした。
働くひとの健康に関わることが何より大好き
産業医という専門家として、産業保健看護職と人事労務担当とチームとなって「仕組みを創り」、それが数年後に組織全体を大きく変えていく姿は、やはり大きな醍醐味であり、やりがいでした。
同時に、働くひとの健康というものが、健診やメンタル不調、休職という領域だけでなく、キャリア含めて幅広く「健康」と捉えた方が良いと考えるようになってから、働きやすさや働きがい、生きがいといった領域までどう働く人の健康を支援できるのかとふわっと考えるようになります。
本来仕事を通じて自らの成長を通して幸せを感じる可能性が広がっているのに、まだまだ働くことで健康を損ねていることが多い現状があるのです。それに対して産業医ひとりでできることが限られているからこそ、仲間を集めて社会的な大きな課題に挑戦する必要があったのです。
働くひとの健康を「産業医個人」から「仲間とともに」関わることへ変わっていったのです。働くことで健康を損ねる大きな社会問題を、企業と関わりながら防ぐことが出来たら私自身もわくわくしかありません。ただその過程において、仲間を集めて、より大きな責任の中で挑戦することには、大きな苦しみと辛さがあったというだけだったのです。
働くひとの健康の面白さ
私が働くひとの健康が面白いと思う点は、
「べき論」が通用しない中で、「答えは企業ごとに違う」
「働くひとの健康」は、世界中で考え方や概念が異なり、歴史が違う
「働くという行為」は、これからもなくならない、進化をしていく
という点があって、働くひとの健康を紐解いていくと本当に面白い。
この仕事には、こんな健康リスクがあるんだ
この仕事は、これが達成されると高く評価されるんだ
この仕事は、これからこの技術で変わっていくんだ
と知らないことばかり。
特に、働くひとの健康が歴史的に派生してきた概念の流れは大好きでして
働くひとの健康という領域が、
産業保健という労働者保護から派生した歴史的背景や法律に基づいた概念
健康保険組合といった労働者の生活の安定、産業の健全な発達から生まれた概念
健康経営などの社会的価値観が大きく変わっていく中で生まれた概念
と働くひとの健康を創るという同じ目標にも関わらず3つの概念が組み合わさっている複雑性も面白いのです。どれもずっと本を読んでいられます笑
最後に
こんな note 初めて書いたけど、なんだか御縁あってこのタイミングで書いたのだと思うだけども、最後まで読んでくれたのであれば、ありがとうございました。時間の無駄になっていないのであればいいのですが笑
何かに夢中になれる、知らなかったことを学ぶことが好きって思えるこの働くひとの健康に出会えて本当に嬉しいし、またその大きな社会的課題を仲間とともに挑戦し続けることが出来る今の環境に感謝です。iCAREにいる今のみんな、卒業していったメンバー、力を貸してくれてありがとう。
結論、私が13年間にもわたってやり続けていられるのは
「働くひとの健康に関わることが何より大好き」
って言いたいだけの note でした。
働くひとの健康を世界中に創るというパーパスを掲げて長い事経っちゃいましたが、想いが色褪せることなく好きでたまらないこの社会的課題を一緒に解決したい方は下のリンクからお願いします。