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ネパールに行けない〜ハノイにクエスチョン〜

背筋が凍ることがあるだろう。大事な約束を飛ばした時とか、宝物を無くした時とか。僕は今、久々に背筋が凍っている。

「PCRは?」

 その一言で、僕は経由地であるインドに必要なPCRを忘れていたことを悟った。ネパールに行くために最も安い便を選んだらベトナム、インド経由だったのだが、航空会社が異なるためにそれぞれの国に入国が必要なのだ。

 僕は呆然とした。そして出国前に忙しない日々を言い訳にまともに準備をしなかったことを悔いた。今回の出国前は特に忙しかったのだ。僕は迫り来る出国を前に、スケートに行ったりバッティングセンターに行ったり美味しいあんみつを探したりしなければならなかったのだ。白玉にうつつを抜かしているうちにPCRを抜かし、僕は今腰を抜かしている。日本の玄関で。

「行けない」と確信し肩を落とす僕に向かって、見送りに来ていた彼女が走ってきたのが見えた。ああ、何か打開策を見つけたんだな!!何か、僕がネパールに行ける方法を、見つけたんだな!!君は諦めてなかったんだ!!さあ、聞かせてくれ!!その打開策を!!


「ねぇ!DJ社長がいる!!!!」


ええ!?!?DJ社長がいる!?!?!?


僕は混乱した。なぜ今なのか。ここ数年で一番不幸なタイミングで、ここ数十年で最もラッキーなことである。あと彼女は僕のチケットとかどうでもよかったのか?という疑問もよぎった。完全に関心が社長との遭遇によって持っていかれて、僕らは握手してもらい、写真を撮ってもらった。結局彼女がチケット代を立て替えてくれて、僕は別のフライトで旅立った。ありがとう彼女。そしてありがとう社長。

 ベトナムに着いたのは14時ごろ。次のフライトまで24時間ほどあり、僕はハノイ観光に繰り出すことにした。「タクシー?タクシー?」しか言葉を発せなくなってしまった哀れなゾンビを横目に、バスに乗り込む。30分ほどで市街地に入り、僕はそこから少し歩いた。


ベトナム渡航歴のある彼女が「ベトナムの空気を吸うと三日は声出なくなるよ」と、子を脅すなまはげのような忠告をしてきたのでマスクをしっかりと装着していた。少し歩き、たどり着いたのはここ、戦争博物館。

 ベトナムの戦争の歴史を、おそらく貴重な資料とともに紹介している。僕は主に対米の、いわゆる「ベトナム戦争」の資料を見にきた。意気揚々と(それもおかしいが)見始めると先史時代から紹介が始まり驚いた。

 
 植民地時代や多くの戦争を紹介し、屋外には当時使われた戦闘機や爆弾が展示されている。その中でも、飛行機の残骸などを使った大きなモニュメントがある。人々の心を打つようなその表情に思わず足が止まる。聳え立つ歴史の像に感動し、しばらく顔を背けられなかった。せっかくだし写真を撮ってもらおうと近くにいたベトナム人の青年にカメラを渡した。私はモニュメントの前で彼が写真を撮るのを待ち、彼は撮り終えると自慢げに渡してくれた。「ありがとう」と伝えて写真を確認すると


遠すぎるだろ!!!!!!

スナイパーの距離感。どんだけ視力いいの??僕はどこ???
ほぼ床の写真と言っていい。タイルを撮るために僕が写り込んだのかもしれない。

博物館はとても良かった。


 次に向かったのは仏教寺院。湖の上にあるチャンクオック寺はハノイで最も古い寺だ。そんなことは知らず、博物館から一番近かったので寺院に行った。
入館料なし。素晴らしい。

なかなかの人混みだが、皆が仏像に向かって手を合わせている。
仏像より何より、熱心に祈るその姿が僕の胸を打った。



寺の前ではなぜかソフトクリーム屋さんがあった。
排ガスを浴びたアイスもオツなもんだと注文。お兄さんはストロベリーのソフトクリームを持ってきた。2つ。

2つも頼んでないよ?と思うと、そのうちの一つを女の子がおもむろに受け取った。そして笑ってこちらを見た。

なんで?????????

 僕は生まれて初めて事前交渉なしでアイスを奢った。見たところ彼女はふざけている様子もないし、アイスが買えないほど貧そうでもない。
「アプリで払おうか?」と聞かれたが、知らないアプリだし断った。
その後少し彼女と談笑し、別れた。
なぜ彼女にアイスを奢ったのかは分からないが、彼女に頭の上にもクエスチョンマークが浮かんでたので多分お兄さんが間違えたのだと思う。

空港に戻り、時間を潰す。
たった半日だったが、ハノイは実に面白い街だった。
まだ声は出ている。

ベトナムコーヒー
フォーーーー
ハノイのどこにでもある、ハイランドコーヒー
空港にもある
おじさんと猫
ハノイの人は道端でゴミを燃やす
5000円両替したら880000ドンになった
空港暇暇部隊

どうも。 サッと読んでクスッと笑えるようなブログを目指して書いています。