【総距離11609km】徒歩で日本一周を達成した平井佑樹くん
今朝は、2年8ヶ月間かけて「徒歩での日本一周」を達成した平井佑樹くん(25歳)がいつものスタバに来てくれた。
彼と初めて会ったのは、2020年12月のことだ。
「あの〜、中村洋太さんですか?」
東京・蔵前の「Nui.」というゲストハウスのラウンジで作業していたら、突然後ろから声をかけられた。
「え??」
「ぼく、Twitterで中村さんのことフォローさせていただいていて」
「え、ありがとうございます!」
「ぼくもライターをしているので、以前、中村さんのnoteも購入して読みました。実は今日ここに泊まっていて」
平井くんは当時大学4年生で、コロナがなければ4月から世界中を旅する予定だったという。しかし行けなくなってしまった。気の毒に感じた。就活をするかどうかも含めて将来のことで悩んでいたので、ぼくは東海道を歩いて旅した経験を含め、いろんな話をした。初対面なのに、1時間以上話し込んでいた気がする。
それから5ヶ月後の2021年5月12日、彼は東京駅から、徒歩での日本一周の旅に出発した。
正直なところ、ぼくは半信半疑だった。というのは、彼が所持金30万円しか持たずに出発して、かなり無謀な旅に思えたからだ。テント泊で節約しながらの旅とはいえ、いくらなんでも日本一周を予算30万円では到底足りないだろう。
案の定、北海道で旅費は尽きた。しかし彼が本当の意味ですごかったのは、そこからだった。
現地で仕事を探して、旅の資金を稼いだのである。何ヶ月も滞在した北海道では、酪農、林業、新聞配達、木炭工房、神社、物産館、草取り、とうもろこしやネギの収穫などのアルバイトをした。
そしてまた基盤を整え、徒歩の旅を再開したのである。その後も福岡県の八女でお茶の収穫、鹿児島でマンゴーの収穫、高知でナスやみかんの収穫、隠岐諸島の知夫里島でラーメン屋の手伝い、和歌山の温泉旅館で住み込みで働き配膳と受付など、各地で様々な仕事を経験して旅費を稼ぎながら歩いた。
そして今年1月20日に東京駅にゴールした。2年8ヶ月で、歩いた総距離は1万1609km。47都道府県を訪れたのはもちろん、東西南北の本土四極(宗谷岬、納沙布岬、神崎鼻、佐多岬)も制覇した。
75リットルの巨大なリュックを背負い、いちばん重いときで33kgあったという。肩にアザができるほどの荷物を背負って、日々長い距離を歩いた。
靴は途中からサンダルに変えたそうだ。1.5〜2万円の良い靴を買ってもわずか2ヶ月で履き潰してしまうから、もったいなかったらしい。
「こんなサンダルで皮が剥けたりしなかったの?」
「一足目は地獄でした。皮も剥けるし、底が薄いゴムだから、コンクリートに殴られている感じで。でも、人間の慣れってすごいもので、二足目以降は大丈夫でした」
足裏の皮は、相当分厚くなったそうだ。しかし信じられないような旅だ。
歩いて日本一周をした人は、過去にたくさんいるだろう。しかし、彼のように途中で働いて資金を稼ぎながら最後までやり遂げた人は、聞いたことがない。ほとんどの場合、事前に旅の資金をすべて集めて、実行するだろうから。だからぼくはその点に平井くんのユニークさを感じた。最後までやり遂げたことも本当に素晴らしい。
彼はすでに次の挑戦の構想を考えていて、少しずつ準備に取り掛かっている。
日本地図をテーブルいっぱいに広げ、彼の歩いた軌跡を辿りながら話を聞くのは楽しかった。伊能忠敬と話しているような感覚だった。
彼の旅に比べればぼくの徒歩の旅は小さなスケールだが、実際に徒歩旅をやったからこそ分かち合えた話もあった。大きな刺激をもらった。
ありがとう平井くん。これからの冒険も楽しみにしている。
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