見出し画像

講演のための思考メモ(16)趣味のインタビュー活動が仕事につながった経緯

「月5万稼ぐのがどれだけ大変かわかった」

「仕事が楽しい」と心から感じ、充実した日々を過ごせるようになったのは、社会人3年目の後半あたりからだった。この頃には添乗の苦手意識も消えていたし、編集部での仕事も良いチームワークのなかで進められた。

しかし、仕事に慣れてしばらくすると、新たな感情が芽生え始めてきた。

社会人4年目のあるとき、大手外資系企業に勤めていた大学時代の友人が、突然会社を辞めて、ひとりで事業を始めた。会社での年収は決して悪くなかったはず。それを手放すということは、稼げるビジネスを見つけたのだろうか。素晴らしく優秀で、ガッツのある男だから、なんだか羨ましいなと思っていた。

それから半年ほど経って、久しぶりに彼と会った。

「ひとりで仕事を始めてみて、どう?」と軽い気持ちで聞いてみたら、

「月5万稼ぐのがどれだけ大変かわかった」

と言うので、ぼくはガツンと大きな衝撃を受けた。そんなに苦労しているのか・・・。そして会社を離れてひとりで仕事をするというのは、それほど厳しい世界なのか・・・。

しかし、なぜかそのとき、ぼくは彼の生き方に憧れた。普通、そんなに生活が苦しそうだとわかったら、「自分は会社員で良かった」「安定収入があって良かった」と思いそうなものなのに。

だけど、ぼくは「給料」というものに、ずっと漠然とした違和感を抱えていた。会社に対して、「本当はいくら分の貢献ができたのか」がよくわからないまま、毎月25日に決まった給料が振り込まれる。大きな成果を出せた月も、それほどではなかった月も、額は変わらない。自分はこの給料に見合うだけの仕事ができているのか、あるいは本当はもっともらってもいいはずなのか、よくわからなかった。そういう不明瞭な点にモヤモヤした。

それよりもぼくは、「実感をともなった5万円」に憧れを持った。よゐこ濱口の「獲ったどー!」みたいな感覚が欲しかった。

彼との会話がきっかけで、徐々に「フリーランス」という働き方を意識するようになった。とはいえ、すぐに会社を辞めたところで、大したスキルもないし、食べていけないだろう。突破口がわからなかった。

自発性と幸福度の関係

また、給料の仕組みだけでなく、自分の不甲斐ない働き方でも、悩みを抱えていた。

職場では、最初のうちこそ、「こうした方がいいんじゃないか」と思うことがあれば、上司に意見していた。でも、「何を言ってるんだ」「お前は何もわかってない」と怒られるたびに、どんどん発言することが恐くなっていった。次第にほとんど自分の意見を言えなくなってしまい、ひたすら無難に仕事をこなすような日々だった。

こうした働き方を続けるうち、「自発性」がどんどん失われていくのを感じた。

自発性というのは、
「自分はAだと思う」「Aをやりたい」(思考・感情)
→だから、「Aをする」(行動)
というシンプルなことである。

その極めて単純なことができなくなると、つまり「本当はAだと思う」けど、そんなことしたらきっと怒られるから「Bをする」ということを繰り返していると、人間は不健全になる。だから、仕事には慣れたし、部分的には楽しいけど、「幸せではない」と感じていた。

その頃からぼくは、「幸せとは何か?」とよく考えるようになった。

人生において、何が幸せをもたらすのだろうか?
社会的成功だろうか? 富だろうか? 人間関係だろうか?

あるいは、何が不幸をもたらすのだろうか?
失敗だろうか? 貧乏だろうか? 

ぼくは職場での経験と感覚を通して、「幸せは自発性に関わるものだ」と認識した。人は、やりたいことをやっているときに幸せを感じ、やりたくないことを嫌々とやっているときに不幸を感じる。

もっとシンプルに言えば、

「思考・感情と行動が一致しているかどうか」

これに尽きると思う。「やりたいことをやっているけど不幸だ」という人を、今まで見たことがない。

しかし、自発性の大切さは認識したものの、思考・感情と行動が実際問題ズレているため、自発性は失われていく一方だった。

このままでは、まともな人生にならない。いつか「自分がおかしい」ことにさえ気付かなくなるだろう、と焦った。どうしたら自分の自発性を保ち、育てていけるだろうか。

突破口は、偶然現れた。

好奇心で始まったインタビュー活動

ある日、風邪で行けなくなった兄の代わりに、マラソン大会のボランティアに参加したことがあった。そこでたまたま、ユニークな働き方をしている女性に出会った。自発性をフルに発揮して、好きなことを通して世の中に大きなインパクトを与えている方だった。一体どういう経緯で現在の働き方に行き着いたのか、彼女のキャリアに興味を持ち、お茶に誘った。そしたら2時間くらい話を聞かせてくれて、実に刺激的な時間になった。未来に対してワクワクしてきて、ポジティブな気持ちになれた。

その日、興奮して「今日はこんな方に会って、こんな話を聞いて・・・」と会話の内容を少しだけFacebookでシェアした。「面白い人に会ったね〜」という友人からの反応も、また嬉しかった。

ぼくは、自発的に生きている人、好きなことを仕事にしている人たちに、強い憧れを持った。自分自身が、そのように生きたい。けど今はできていない。だけど諦められない。どうしたらぼくも好きなことを仕事にできるだろうか。もっと自由に働けるだろうか。何かヒントが欲しい。そういう切実な思いで、「この人は面白い!」と感じる人をネットや雑誌、テレビなどで見つけたら、すぐにコンタクトを取って、「お話を聞かせていただけませんか?」と連絡した。

パティシエの林周作さん

・女子大生の起業家
・メロンパンが大好きでメロンパンフェスティバルを始めた方
・クラフトビール醸造家
・歌手を目指す方
・旅しながら世界の郷土菓子を研究するパティシエ
・茶道の魅力を伝える家元の方 etc…

どの人の話も面白かった。好きなことを仕事にしている人たちは、イキイキと輝いていた。

2015年、茶道家へのインタビュー中

「どうしてこういうことをしようと思ったんですか?」

と必ず聞いた。それぞれ、やっていることは異なれど、自分の悩みに通ずるものがあった。次第に、「こんな価値ある話を、自分が聞くだけではもったいない」と感じるようになり、気付いたらFacebookやブログで、話の内容を紹介するようになった。そしてその文章は、徐々に長くなっていった。自然な流れで、「インタビュー記事」と化していった。

こんなインタビュー記事を書いていた

仕事では旅行に関する記事しか書けなかったから、インタビュー記事は新鮮で楽しかった。人のキャリアは多種多様で、とにかく面白い。

「良い記事にしてくれてありがとう!」
「あの記事、お母さんがすごく喜んでくれた!」

紹介した方から喜んでもらえるのも嬉しかった。

かつてインタビュー記事を載せていたブログ

会社員として働きながら、平日の夜や土日に、とにかく人に会いまくった。すべての人のことを文章にしたわけではないが、2〜3年の期間で、150〜200人くらいの方と1対1で会っただろう。

その誰もが、自分の考え方に影響を与えてくれた。彼ら彼女らの素晴らしい要素に学びと勇気を得て、ぼくはどんどんエネルギッシュになっていった。そして何よりも、彼らの「自発性」が、ぼくの自発性に再び命を吹き込んでくれた。結果的に職場でも積極的になれて、以前よりも意見を言え、より活発に仕事ができるようになっていった。

2015年だけで約100人とお会いした

そんな活動を続けていた2016年の夏、ある有名ベンチャー企業の経営者から突然連絡があった。

「最近たまに中村さんのブログを読んでいます。中村さんが行っていることと、私たちの目指している方向性が似ているなと感じたので、ライティングや編集でうちのメディアとコラボしていただけないでしょうか」

後日、会社に訪問して詳細を伺うと、「うちのメディアでインタビュー記事を書いてくれませんか? 原稿料は1本あたり2万5000円でどうでしょうか」と言われた。

ビックリした。すごい方から頼まれた嬉しさと、「え、これってお金になるんだ」という驚き。まさか、遊びでやっていたインタビュー記事でお金を稼げるなんて思ってもいなかった。とはいえ、会社は副業禁止だったし、実力的にできるかどうかも不明だったため、とりあえずテストで1本だけ書かせてもらうことにした。そして仕上がった記事は、高く評価していただけて、手応えをつかんだ。

大きな出来事だった。誰かに取材の仕方やインタビュー記事の書き方を教わったわけでもないのに、向上心を持って取り組んでいたら、知らず知らずのうちにスキルが身についているようだった。そして好きなことをして、発信していると、良い流れが生まれてくると実感した。

「もしかして、会社を辞めても、インタビュー記事で食べていけるのでは?」

このとき、フリーランスになることを現実的に考え始めた。そして今年度中に退職しようと決めたのだった。

(つづく)

いつもお読みいただきありがとうございます! よろしければ、記事のシェアやサポートをしていただけたら嬉しいです! 執筆時のコーヒー代に使わせていただきます。