講演のための思考メモ(6)ヨーロッパへの憧れ
大学3年生の夏に西日本一周の自転車旅を終えて、早くも「来年の夏休みは、どこを自転車で旅しようか」ということで頭がいっぱいだった。知らない土地を自転車で旅して、ブログを書く。この一連の行為が楽しくて仕方がなかった。
はじめは、「今度は東日本を一周しようかな」と思った。西日本と東日本で、確かにキリは良い。でも、全然ワクワクしなかった。それは、西日本を一周できたことで、「東日本も問題なくできるだろう」とある程度わかってしまったからだった。東京から鹿児島まで行けたのだから、東京から北海道だって行けるはず。できるとわかっていることよりも、できるかわからないチャレンジの方がモチベーションは上がる。だったらいっそ、海外に飛び出してみるのはどうだろうか。たとえば、ヨーロッパとか。
高校1年生の夏、テレビで観た「ツール・ド・フランス」に憧れて自転車を始めた。あのフランスの大地を、実際に走ってみたい。この目で見てみたい。でも、どうせフランスへ行くなら、ドイツやイタリアやスペインにだって行ってみたい。そう考えたとき、今度はオーケストラサークル時代の経験がつながった。
「そうだ、昨年の演奏旅行(※思考メモ(3)参照)で訪ねたドイツのフライブルクやヴィースバーデンも、また自転車で訪ねられたら、楽しいだろうな。兄が住んでいるベルリンをゴール地点に設定するのもいい」
妄想はどんどん膨らんでいった。しかし、資金面の問題ひとつをとっても、あまりに非現実的なアイデアだった。もし夏休みをフルに使うとして、2ヶ月間のヨーロッパ旅行は優に100万円以上かかるだろう。そんな大金、ぼくにはないし、親だって出してくれない。これから就活も始まるし、研究室に所属すればさらに忙しくなると聞いている。そんな状況のなか、バイトで旅の資金を貯めるのは難しい。やっぱり自転車でヨーロッパを旅するなんて、無理な話だろうか。
いや、自分の夢をそんな簡単に諦めていいのか? 植村直己の言葉を思い出せ。
ぼくだって、日本を飛び出して冒険をしてみたい。
司馬遼太郎の小説『俄』では、主人公の明石屋万吉がこんな台詞を言っていた。
そうだ、覚悟だ。「できたらいいな」ではなく、まず先に「やる」と覚悟を決めてしまう。お金やスケジュールの問題は、あとから辻褄を合わせていく。「できない理由」を探せば無限に出てきて、キリがない。だから「やる」と決めて、「どうしたらできるか」だけを考えることにした。
卒業して社会人になったら、2ヶ月間の長旅なんて行けないだろう。どうしても、学生のうちにやる必要があるのだ。
2010年2月、ぼくは覚悟を決めた。今は全然お金がないが、半年後の8月には、ぼくはヨーロッパを自転車で旅する。旅していたらいいな、ではなく、旅している、のだ。資金を集める方法は・・・まだわからない。でも、なんとしてもやる。とにかくやるんだ。
そして、あれこれと模索するなかで、一か八かのアイデアが浮かんだ。
「企業にスポンサーになってもらって、旅を実現できないだろうか」
無名の大学生がスポンサーになってもらうなんて、正直難しいだろう。だけど、ぼくの旅を、単なる個人的な旅行ではなく、何か社会的意義のある活動に昇華できれば、もしかしたら応援してくれる企業が現れるかもしれない。
就職活動の最中、新聞を読んでいて、気になるニュースが飛び込んできた。
それは、「近年、20代若者の海外旅行離れが進んでいる」という話題だった。ぼくは、前年の演奏旅行でヨーロッパへ行った経験から、「なんてもったいないんだ」と感じた。海外旅行から得られる刺激や気付きは計り知れない。日本の将来を担う若者こそ、感受性の高い時期にたくさん海外へ行き、多様性にふれることが大切だ。それは日本にとって重要なことなんだ。
あ・・・! その瞬間、すべてがつながった。
ぼくがヨーロッパを自転車で旅して、旅の魅力や各地の情報を毎日ブログに書いていく。そして、多くの同世代の人たちに読んでもらえたら、もしかしたら海外に行ってみたいと思う若者を増やせるかもしれない。
「若者の海外旅行離れを食い止める」。それを「旅の目的」として、企画書を作ろう。そして企業を回って、協賛を募ろう。
うまくいくかはわからない。でも、やってみる価値はある。何事も、やってみないとわからないのだから。無名の一学生が本気を出して行動したときに、どこまで社会や人を動かせるのか、そのことに純粋に興味が湧いた。
奇跡のような半年間は、ここから始まったのだった。
(つづく)
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