講演のための思考メモ(5)自転車旅とブログ
大学時代、いくつか素晴らしい本と出会った。
植村直己『青春を山に賭けて』
小澤征爾『ボクの音楽武者修行』
司馬遼太郎『竜馬がゆく』『燃えよ剣』
時代や境遇にかかわらず、逆境さえもプラスに変えて、自らの手と足で運命を切り拓いていった彼らの生き方に、ぼくは強く憧れた。
それまで常に人の目を気にして、自分の意思よりも人に合わせることを優先してきたが、そんな生き方は息苦しかった。自分のやりたくないことでもやらなくちゃいけない、人の意見には逆らえない、というような感覚で自分を無意識に縛っていた。でも、本当はもっとわがままになりたい。自分が「こうだ」と思う道を、人の意見に左右されずに、行けるところまで突き進んでみたい。本からの影響で、次第にそういう気持ちが生まれていった。
大学3年生の夏休みに、思い切って1ヶ月間の自転車旅に出ようと決めたのも、そのような想いが背景にあったからだった。
ぼくは中学生の頃からずっと、「日本地図って本当に正しいのかな?」「道はちゃんと地図どおりにつながっているのかな?」と疑問に思っていた。大学生になってもその疑問が消えなくて、自分の目で確かめてみたくなった。
一冊の地図帳を携えて、自転車で横須賀から九州まで行ってみる。道が本当に地図どおりにつながっていたら、それ以降は地図を信じることにしよう。
ある日、大学で自転車旅の計画を立てていると、
「なんで地図帳なんか見てるの?」と学科の友人から聞かれた。
「夏休みに、自転車で九州まで旅するんだ」
「は? バカじゃないの? 自転車で九州までなんか行けるわけないじゃん」
本気で馬鹿にされて、思わず声を荒げてしまった。
「なんで無理だってわかるんだよ。お前はやったことあるのかよ?」
「あるわけないじゃん(笑)だって無理に決まってるじゃん」
「・・・・・」
言い返す言葉もなく、ただただ悔しかった。
最初は「地図の正しさを確かめてみたい」という単純な欲求から生まれた企画だったが、ぼくは改めて、この挑戦について考えることになった。こんなに長い自転車旅は初めてだから、彼の言うとおり、もしかしたら途中で身体に限界がきて、リタイアする可能性だってある。そのことをどう考えるか。
ぼくはすぐに結論に達した。無理でもいい。できなくても構わない。でも、やる前から「できない」と言うのと、やってみて「できなかった」と言うのでは、まったく価値が違うと思った。やる前から諦めたくない。できないならできないで構わないから、自分はどこまで行けて、どこから先は行けないのか、それを知りたかった。自分の限界がどこにあるのかを確かめられたら、たとえできなかったとしても、爽やかな体験になるはずだ。
失敗してもいい。やってみよう。
ただ、初めてのひとり旅が1ヶ月間の自転車旅ということで、両親は心配した。とはいえ、毎日こまめにメールで連絡するのも嫌だった。だからぼくは、旅に出る直前にブログ(アメブロ)を開設した。
「このブログに毎日日記を書いて、どこまで走ったか報告するから、それで安否確認してて」
「今日は何キロ走って姫路に着きました」
「阿蘇山の山頂に駐輪場はなかった」
「鹿児島の開聞岳で、おじさんがイカの丸焼きをくれました」
下手な文章だった。でもその日起きた出来事、目にした美しい情景、人の心の温かさ、うまく言い表せない感情や感動すべてを、なんとか言葉にしようと深夜までもがいた。ネットカフェに泊まったときはパソコンから、それ以外のときはガラケーから、毎日ブログを更新した。
するとなぜか、家族や一部の友人にしか伝えていなかったブログが、口コミでいろんな人に広がっていった。気付けば1日300PV。今にしてみたら大した数字ではないが、当時のぼくには十分過ぎるほどの驚きだった。個人的な旅なのに、こんなに読者がつくなんて。
横須賀を出て、13日目に九州に着いた。下関から関門海峡を眺めながら、「道は本当に、地図どおりにつながっていた」と実感した。その当たり前の事実に、ぼくは深く感動した。各地で様々な人との出会いがあり、皆親切にしてくれた。そして日本の食文化や観光資源の豊かさにも驚かされる日々だった。松山では小学校の先生と出会い、「ぜひ子どもたちに旅の話をしてあげてください」と特別授業に招かれた。旅は、なんて楽しいのだ。とにかく毎日が楽しくて仕方なかった。
旅の終わりに、知らない女性からブログにメッセージが届いた。
「中村さんの挑戦を見ていて、私も知らず知らずのうちに諦めてしまっていた夢があったことを思い出しました。その夢に向かってもう一度挑戦してみようと思います。ありがとうございました」
正直、感謝される意味がわからなかった。ぼくはただ「地図を確かめたい」と思って好きなことをやっていただけだから。
だけど結果的に、人の背中を押せていたんだと、そのとき初めて気付いた。誰かを励まそうなんて一切思っていなかったのに、見知らぬ誰かの背中を押していた。そのことを理解して、この短いメッセージの重みを知った。人生における重要な学びを得た気がして、今度は自分が感動する番だった。
好奇心の赴くままに行動を起こせばいいんだ。人の目を気にして恐る恐るやるのではなく、どこまでも突き抜けてしまえばいいんだ。自分の純粋な欲求を満たせば、それが最も他者貢献できる形になるんだ。
自分の好きなことを一生懸命やることで、人のためになるのだと知った。この一通のメッセージが、以後の生き方を決定づけた。
(つづく)
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