見出し画像

東北一周自転車旅(10)宮城県石巻市〜南三陸町

東北一周自転車旅
第10ステージ
宮城県石巻市〜柳津駅→宮城県南三陸町(28km)

昨夜も寝たのは深夜2時前だった。さすがに夜更かし過ぎだけど、遊んでいる時間は一切なく、ただ日記の更新に追われているのである。「らんまん」の見逃し配信すらまだ追えていない。我ながらよく身体を壊さずに済んでいる。過酷だけど精神的なストレスがない分、免疫が高い状態にあるのだろうか。

今朝は7時頃に起きて、少し作業してから宿で朝食を取る。

8時半に部屋に戻ってきて、10時のチェックアウトギリギリまで昨日の日記を書いていようかと考えていたが、考えを変えて、急いで出発の支度をした。

なぜなら今日は雨の予報だから。雨雲レーダーを見ると、このあと10時頃から降り始めて、その後はほとんど雨が降りそうだった。

日記はいつでも書けるが、雨が降ってしまったら自転車での移動が困難になる。走れないことはないが、滑りやすくなるためなるべく避けたい。

もし天気に問題がなければ、石巻から南三陸町までのルートは、女川町を通って、リアス式海岸のまさに海沿いから向かうつもりでいた。

しかし、このルートは鉄道が通っておらず、またアップダウンも多いため結構しんどい。万が一、ここを走っているときに土砂降りになったら途方に暮れてしまうので、残念だけど内陸の最短ルートを取ることにした。おかげで震災遺構の大川小学校も諦めざるを得ないが、仕方ない。これが自転車旅のリスク管理である。安全最優先の判断。

代替ルートはまず、石巻から国道45号線で北上し、JR気仙沼線の柳津駅を目指す。そこまでは24kmで、頑張れば1時間ちょっとで着くと思う。だからもし1時間後に雨が降り始めるとしても、少し濡れる程度で済むのではないか。雨が降らずに済めば、そこからさらに15km走れば南三陸町に着く。

そして予報通り雨が降っても、柳津駅からは南三陸町の志津川駅まで公共交通機関(正式には「気仙沼線BRT」という)が運行しているため、それで輪行できるはずだ。

そういう算段だった。さあ、この狙いどおりに行けるかどうか、実際にやって確かめてみよう。

9時に宿を出発。石巻駅を通る際、おもしろい電車があった。石巻線の車両には、仮面ライダーなど石ノ森章太郎のキャラクターたちがふんだんに使われていた。

仮面ライダーの車両
市役所前には仮面ライダーの像も

北上川を渡り、川沿いのサイクリングロードを走る。また一般道に入るが、車が少なく、ほとんど平坦だったのは助かった。

10時を過ぎた頃、予報通り雨が降り始めた。この先もしばらく雨だろう。しかし順調なペースでここまでやってきた。地図を見たら、もうあと3kmだった。ラストスパートだ。多くの人が会社で仕事している時間に、ぼくは何をこんなに必死になって自転車を漕いでいるんだろう。でも悪くなかった。

雄大な北上川

なんとか少し濡れる程度で柳津駅に着いた。10時30分。

ぼくはてっきり、柳津駅から鉄道で南三陸まで行けると思っていたのだけど、ここが鉄道の終着点だったから「あれ?」と思った。JR気仙沼線は津波に襲われ、大部分が廃止になったそうだ。鉄道を復旧させるのにも莫大な資金が要る。そこでJRは、専用道などを走るバス高速輸送システム(BRT)を日本で初めてこの路線に導入した。

そういうわけで、鉄道ではなくバスがあった。それが「気仙沼線BRT」。時刻表を見ると、10時48分発があり、それを逃すと今度は1時間後だった。絶対に逃せない戦いがそこにはある。急いで輪行の準備をし、時間通りにやってきたバスに載せた。しかし、慌てて荷物をまとめたため、その際に片方のグローブを落としてしまったようだ。気付いたらなくしていた。致命的なものでなくて良かったけど、グローブがないと手の負担が増すからちょっと痛手だ。

30分ほどで志津川駅に到着。雨のなか、無事着いたから良しとしよう。

姿は随分変わったが、懐かしの南三陸町だ。

*****

ぼくが初めて南三陸町を訪れたのは、2015年3月のこと。

きっかけは、宮城県塩釜市に住む友人ができたことだった。「塩釜はすごくいいところだから、一度来たらいい」と何度も言ってくれた。

塩釜行きが決まったときから、「塩釜以外では、どこへ行こうか」と考えていた。「せっかく東北沿岸部に行くのだから、太平洋を眺められる温泉に浸かりたい」。そんな欲求に駆られた。きっと海に面した温泉はたくさんあるだろうと思っていたが、調べてみると、意外にもすぐに見つけられたのはひとつだけだった。「南三陸ホテル観洋」というホテルに「南三陸温泉」があり、どうやら素晴らしい眺めを堪能できるようだ。

「南三陸って、震災の被害が特にすごかったところだよな」

ホテルのサイトを見ていると、気になる記事が紹介されていた。

『参加者6万人超、宮城・南三陸「語り部バス」の磁力』(日本経済新聞)

「風化が進む中で、あの日に何が起こったのか知りたいと町を訪れる人も多い。同ホテルでは12年2月から毎朝、「語り部バス」を運行している。「どこに何があったのか案内してほしい」という宿泊客の要望に応えたのが始まりだ。3年間で約6万2000人がバスツアーに参加した」

同記事より

当初は温泉に入りたいと思って行き着いた「南三陸」だったのだが、この記事を読んでから、「このバスツアーに参加して、震災のことを学びたい」という想いにシフトし始めた。しかし、どうやらこのバスツアーは宿泊者限定のもので、塩釜から日帰りで訪ねるぼくらには、参加できないものらしい。

だが、南三陸町を自分たちだけで訪れても、震災のことを深く知れるとは思わなかった。もちろん、行かないよりは行った方がいいに決まっているだろうが、せっかく行くのであれば、どうしても地元の「語り部」の話が聴きたい。

その想いを、「南三陸ホテル観洋」に伝えたところ、なんとぼくらのために特別に「語り部」の方がガイドしてくださるということになった。それも通常のバスツアーが1時間で終わるところ、3時間近く案内してくださるというありがたいものだった。

そして3月14日のお昼過ぎ、ぼくらは南三陸ホテル観洋のロビーで、「語り部」の伊藤俊さんにお会いした。

2015年3月の南三陸訪問時

「『震災のことを学びたい』と、遠いところから熱意を持って訪ねてくださることが本当にうれしいです。本日はよろしくお願いします」

車に乗ってホテルを出発すると、南三陸町に起きた真実を知るツアーが始まった。

「では、まずは戸倉地区へ向かいましょう。ここで起きたことは、テレビでもほとんど報道されていません」

事実、本当に知らないことばかりだったのだ。

*****

ここでは割愛するが、その際に見聞したものの詳細は下記noteに書いているので、気になる方は読んでみてほしい。2年前にnote公式の注目記事にも選ばれ、高い評価を受けた。

当時すごく印象に残っているのが、ツアーの最後に高台から町を一望したことだ。豊かだった町は跡形もなく流され、まっさらだった。復興に向けて動き始めたばかりの町の様子を眺めながら、「これからどんな町に生まれ変わるのか、また見に来なきゃな」と思った。

2015年3月の南三陸町。このときから随分変わった。

そういうわけで、今回の東北一周自転車旅を計画したときから、南三陸は再訪したい場所だった。

志津川駅前には「南三陸311メモリアル」という立派な施設ができていた。その隣には、「南三陸さんさん商店街」があり、飲食店などが賑やかに並ぶ。どちらも設計は隈研吾さんの監修で、「美人杉」といわれる南三陸杉がふんだんに使われている。

志津川駅の隣にある「南三陸311メモリアル」

「松原」というお店で有頭海老カレーを食べたあと、震災復興祈念公園の「祈りの丘」に登った。その丘の上からは志津川湾や旧防災対策庁舎を見渡すことができ、震災の記憶と教訓を伝える場所になっている。津波は、この丘の高さ(てっぺんよりひとつ下の段のところ)まで達したようだ。実際に立ってみて、改めて津波の高さに驚いてしまう。これはどうしようもない。

祈りの丘

すぐ近くに見える「旧防災対策庁舎」は、高さ約12メートルあるが、その高さすら上回った。あの日、「高台へ避難してください!」と何度も呼びかけた職員は、屋上に避難するも、津波に飲み込まれてしまった。ここで43人が犠牲になった。鉄筋の骨組みが剥き出しになったままの姿で放置されているが、これを保存するか撤去するかの議論は、今もまだ結論が出ていないそうだ。

旧防災対策庁舎

13時過ぎ。チェックインの15時まではまだ時間があったが、ラウンジで原稿を書いていようと思い、ホテルへ向かった。今日の宿泊は、8年前に伊藤さんにお世話になった、「南三陸ホテル観洋」である。

ホテルに着くと、フロントに見覚えのある人物が立っていた。

「中村さん、お待ちしておりました」

伊藤さんだった。

「ご無沙汰しております!」

実は2日前に、「自転車で南三陸を訪れるので、もしお時間があればご挨拶したいです」とお伝えしていた。すると、お会いできることになっただけでなく、ホテルの予約まで引き受けてくださった。今の節約旅では少し贅沢な宿だけど、前回泊まれなかったので、念願が叶って良かった。

眺望の良いお部屋

伊藤さんは現在ホテルで第一営業次長という役職を持つほか、2021年からは「南三陸町議会議員」も務めている。出張や講演などで多忙な方だが、この日の午後は運良く空いていらっしゃり、夕方に2時間もお話を伺うことができた。

伊藤俊さん

前回ぼくが訪ねてから、この8年の間に町や町民の意識はどう変わったか。そこがいちばん気になっていた部分ではあったが、お話を伺っているうち、伊藤さん自身のことがより気になり始めた。前回お会いしたときから、「まっすぐで熱量の高い方」という印象を持っていたが、その良さはそのままに、さらに志の高い活動家になられたと感じたからだ。なかなかホテルの一従業員でこういう方は珍しいと思うし、だからこそ選挙戦を経て南三陸町議会議員になられたのも納得だった。南三陸を未来に誇れる町にするため、町の外のことも見ながら、様々な角度から真剣に取り組まれている。

だからぼくは、伊藤さん自身が「語り部」としての長年の活動を通して、どんな変化があったかということに興味が湧いた。もちろん大きな変化や成長があったが、それは自力でというよりも、「皆様に育てていただいた」とおっしゃっていて、印象的だった。

全国各地から「語り部」のツアーに参加しにお客様がやってくる。伊藤さんは日々たくさんの方と出会い、いろんな質問を受ける。なかには難しい質問もある。でもちゃんと答えたいから、うやむやにせず、勉強する。その日々の積み重ねのなかで、伊藤さん自身にも大きな変化が生まれたのではないか。そして単に「震災のことを伝える」だけに留まらず、環境や持続可能な社会のことも考えながら、南三陸の町づくりに励んでいる。「地域農園」の構想など、ワクワクするアイデアについても聞かせていただいた。足下を固めながらも、長期的な視野で考え、本質から外れないように動かれているのがよくわかった。

2015年に伊藤さんとお会いできたのも、今回再会できたのも、何かのご縁だろう。「太平洋を眺められる温泉に浸かりたい」という願望も、8年越しに叶った。サウナからも海が見えて最高だった。素晴らしい滞在ができてとても嬉しい。また何年後かに、町の変化を見に来たいと思っている。伊藤さん、ありがとうございました!

伊藤さんと記念撮影

<今日のお金>
バス 330円
ランチ 1280円
お茶 108円
ホテル 11480円

▶︎旅と発信の活動のためのご支援を募っています!
ただいま4社の企業様、77名の個人の皆様よりご支援いただき、
総額727,866円のご支援をいただきました!
ファースト目標まで、あと72,134円(現在91%)
ネクスト目標まで、あと472,134円(現在61%)

▶︎ご支援者様用のフォームはこちらより

▶︎2023年 旅の予定&ご支援者様一覧(随時更新)


いつもお読みいただきありがとうございます! よろしければ、記事のシェアやサポートをしていただけたら嬉しいです! 執筆時のコーヒー代に使わせていただきます。