ライターのぼくが、30代からモデルになれた経緯
先日、久しぶりにモデル撮影のお仕事がありました。いつも通りいろいろな役柄を演じて、その写真をSNSに載せたところ、思わぬ反響がありました。
「Facebook広告に中村さんが出てきました!」といったご報告も頻繁にいただくようになりました。
モデルの仕事を始めてから4年が経ち、ありがたいことにぼくの写真は、様々な場面で使われているようです。
そしたら昨日、「どのような経緯でモデルになったのですか?」というご質問をいただいたので、その経緯をご紹介します。
モデルになった経緯
2018年、フリーライターになって2年目の冬、ぼくはユニクロを展開する株式会社ファーストリテイリングからお仕事の依頼をいただきました。
現在はなくなってしまいましたが、かつてユニクロは、「EDITOR'S CLIPS」というオウンドメディアを持っていました。ユニクロの商品の魅力を紹介するメディアで、そこにぼくも記事を書くことになったのです。
自転車でのアメリカ縦断や台湾一周を達成した後だったので、そのとき依頼された記事の企画は、「自転車・サイクリングウェアに使えるユニクロのアイテム」でした。
まずは「冬のパンツ編」を書くことになり、実際に着てみて「これ、いいな」と感じた商品を原稿にまとめたのですが、先方によれば、その記事にはめ込む画像は、「ユニクロの公式サイトで使われている、商品のイメージ写真」とのことでした。
でもぼくは原稿を書きながら、「せっかく自分が心からおすすめしたいものを書いているのに、その写真が宣材用の写真だったら、臨場感が失われてしまうのではないか」と感じました。
そこで、ぼくは担当者の方に率直に伝えました。
「紹介する服をぼくが実際に着て、自転車で走っているシーンの写真を使う方が良くないですか?」
「でも中村さんはモデルではないじゃないですか」とは流石に言われませんでしたが、ちょっと微妙そうな反応でした。確かにぼくはモデルではないし、参考として見せられるイメージもなかったから、想像がつかなくても仕方ありません。
だから、これは実際にぼくがやりたい絵を見せるしかないと思いました。
プロのカメラマンにお願いできるほどお金の余裕はなかったので、カメラの得意な知り合いにお願いして、記事で紹介する服を着て、写真を撮ってもらいました。もちろんその謝礼はぼくの自腹だし、そもそもユニクロに断られたら、この撮影会は何の意味もなく終わります。
しかしそれでも、自分のやりたいイメージを形にしてみたい欲求に駆られました。
後日、書いた原稿にぼくの「モデル風写真」を挿入して、担当者にメールを送りました。
「この写真を記事に使わせていただけませんか?」
なんと言われるか、ドキドキしました。そして返事がきました。
「写真ですが、クオリティも申し分なく、商品ページの画像を使うより何倍も良いです、ありがとうございます」
やった。。。
そんな経緯で、ぼくはこのメディアにおける「ライター兼モデル」として、3本の記事を書くことができました。ユニクロと担当者の方には本当に感謝です。
このユニクロの記事をSNSでシェアしたところ、今度は別のところから、モデルの仕事が舞い込んできました。「TABI LABO」編集部からお声がかかったのです。
モレスキンのビジネスバッグの記事広告で、モデル役として登場してもらえないか、というご依頼でした。
幸いこの仕事も無事に終わり、「モデルって楽しいな」と感じたぼくは、可能性をもっと追求してみたくなりました。
「どうしたら副業でモデル活動ができるだろうか?」
方法はわからなかったけど、種を撒きました。ぼくはユニクロやTABI LABOで撮影した自分のモデルとしての写真に、「#男性モデル」「#男性モデル募集」などのハッシュタグをつけてInstagramで投稿しました。
すると2019年のある日、思わぬDMが届きました。
「はじめまして。ピクスタ株式会社でディレクターをしております◯◯と申します。DMから、突然失礼いたします。インスタを拝見させていただきとても素敵だなと思いまして、ご連絡させてもらいました。来月、弊社にて『ポートレート&ビジネス』をテーマにしたスチール撮影を予定しております。よろしければ、モデルさんとして、ご協力していただけないでしょうか?」
まさか本当にモデル依頼がくるとは思いもしませんでした。初めてのことで少し不安もあったけど、「知らない世界を見てみたい」という気持ちが勝り、撮影の世界に飛び込んでみることにしました。
スーツを持参して、代々木にある小さなレンタルスペースに入りました。最初にビジネスカジュアルの服装で撮影して、後半は休日のリラックスシーンを撮るとのことでした。
緊張して、最初はカメラマンさんから「表情が固いです」と何度も言われました。でも「あ、今の良い表情ですね〜」とか言われながらたくさん撮っていただくうち、徐々にリラックスできてきました。
後日、ぼくの写真はストックフォトとして、PIXTAのサイトに掲載されました。晴れてPIXTAのモデルデビューです。
さらにその後、数回にわたり撮影依頼を受けました。メイクさんがつく撮影もあり、鏡とたくさんのメイク道具が置かれたテーブルの前にドキドキしながら座りました。
「普段はどんなケアをしてますか?」
「え、普段・・・(涙)よぐわからなぐて、何も、してないです・・・(嗚咽)」
それから初めて化粧水や肌に塗るクリームを買いました😂 正直今も大したことはできていないけど、もっと若いうちから肌のケアしておけば良かったな〜と感じています。
複数のモデルさんと共演する際は、緊張もしたけれど、新しい友達ができて楽しかったです。モデルさんと知り合える機会なんてこれまでほとんどなかったから、撮影の合間に雑談して、バックグラウンドなどを知れる時間も貴重でした。皆さん個性があっておもしろいです。カメラマンさんやメイクさんとも何人か仲良くなりました。
初期の頃は、ビジネスシーンの撮影が中心でした。他のモデルさんたちは皆イケメンで、容姿ではまったく敵わないけど、プレゼンの仕草や、パソコンを打ちながら電話をする仕草など、会社員時代の経験が役立つ場面は多くありました。
重要なのは「売れる写真」「使われる写真」をカメラマンさんと協力しながら撮ること。そのために様々な視点で提案したり、表現したりできることはありました。ぼくがメディアの編集者だったことも大きいかもしれません。イメージ写真を「使う側」だったから。その視点を持ってモデルとして表現していけば、ストックフォトモデルとしての差別化に繋がりそうだと感じました。
あるときはマイクロソフトの公式サイトで使われ、あるときは有名メディアのサムネイルとして使われ、またあるときはYahoo! JAPANのトップページに、これ以上ない地味さで映り込んでいました。
ライターである自分が、モデルとしてもメディアに登場する。そういう意味のわからない楽しさが、結構人は好きだったりします。「おもしろいですね」と言われて初対面の方と仲良くなったり、それがきっかけで新しい仕事の依頼につながったりすることもありました。
それから細々とモデル活動を続け、今では3700枚以上の写真が、ストックフォトサイトに登録されています。白衣や作業服を着て、想像力を駆使していろんな職業になりきるのも、この仕事の楽しいところです。昔、役者さんに少し憧れていたことを思い出しました。
もっと言うと、ぼくは高校生か大学生の頃から、ユニクロの店頭で広告写真を見るたび、「このモデル、やってみたい」と漠然と思っていました。それから10年以上経って、部分的写真に過ぎないけれども、ユニクロのWebメディアにモデルとして登場できたのは嬉しいです。
ぼくのストックフォトを誰が買い、どこに使われるのかはわからないのですが、知人から「この広告に映ってるの、中村さんですよね!?」と連絡をもらうことが増えてきました。
真面目に撮られているだけなのに、みんなに笑ってもらえる。むしろ真面目にやればやるほど笑いを誘えるのがおいしいところかもしれません。旅や発信とは全然異なる活動だけど、これはこれで楽しいし、今やぼくの個性のひとつになってきています。
実績が増えるにつれて、ストックフォトだけでなく、企業から広告用のモデルを依頼されることも何度か出てきました。どの現場でも、ライターという仕事だけでは決して味わえなかった経験をさせていただいています。楽しいので、ご依頼をいただける限り、続けていこうと思っています。
長くなりましたが、これがモデルとして活動するようになった経緯でした。
お読みいただきありがとうございます! 記事のシェアやサポートをしていただけたら嬉しいです! 執筆時のスタバ代に使わせていただきます。