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講演のための思考メモ(4)自分を知る

昨日、Twitterのタイムラインに流れてきた記事が良かった。

マサチューセッツ工科大学(MIT)教授で、MITメディアラボ副所長でもある石井裕さんの言葉。

ーーちなみに、先生ご自身は、若い頃から哲学や美学に親しまれていたんでしょうか? あるいは、MITに行ってからより強く意識するようになったのでしょうか?

石井 私の場合は、詩集を携えてよく一人旅をしていました。一人旅でたくさんの詩を読み、人との出会いや別れを経験し、そのことによって救われていました。それがいまの研究に役立つなどとはまったく思っていませんでしたが、何を美しいと感じ、何を大切だと思うかといった自分なりの価値観を知ることができました。

「自分はこれが好きだ」「これはやりたくない」「これを信じない」ということを明確に獲得できたわけです。そのような自分の基盤をつくるという意味で、アートや生きるための力を身につける手法、いわゆる「リベラルアーツ」が大事だとつくづく思っています。

すばらしい仕事をしたりすばらしい技術をもっているだけでは、もはや人は尊敬されません。お金を儲けたり、何かをつくったりすることだけに長けていても「人間」とはいえないわけです。

いまの時代、私たちはつねに「あなたはどういう人間ですか?」と問われているんだと思いますね。「この人の話をもっと聞きたい」と思われるような人間としての深み・面白みが求められている。

「何が本質で、何が幻想なのか」を見極める力が必要になっているんだと思います。

講演テーマである「回り道の大切さ」とリンクする話だ。ひとつのことだけではなく、いろいろなことをやるなかで、「自分」や「物事の本質」がわかってくる。「これは自分には向いていない」とわかることも貴重な財産になる。

そして、「講演のための思考メモ(2)」でも書いたように、経験のないことに対する人間の予想はあてにならない。これは仕事についても言えて、自分にどんな仕事や働き方が向いているか、人や社会とどのように関わるのが心地良いか、というのは、自己理解が低い状態ではなかなかわからない。まずはやってみて、「それを自分がどう感じるか」をもとに、アップデートしていくしかない。

「これは自分の将来の役に立つからやる、これは役に立たないからやらない」とかではなく、「役に立つかどうかなんてわからないけど、今これをやりたいと思うからやってみる」という生き方をしたい。それなら今この瞬間のエネルギーを無駄にしないし、全力でぶつかることによって、自分のことがよりわかるようになる。

映画『耳をすませば』で、ぼくの好きなシーンがある。

主人公の月島雫は、やる気になって物語(小説)を書き始めるも、思うようにいかないところや未熟な部分を突きつけられる。その苦しさに耐えながらもなんとか小説を完成させた。しかし、自分は「背伸び」していたと気付く。書きたいという気持ちだけでは自分の納得するものは作れず、もっと勉強や経験が必要だとわかった。そして考えを改め、進学に向けて歩み出す。そのときの雫の台詞。

「でも、背伸びして良かった。自分のこと、ちょっとわかったから」

挫折も経験した。でも実際にやってみたからこそ、自分についての理解が深まった。たとえ目標との間に距離があっても、「現在地」を知ること、「目標との距離」を知ることで、人は前に進むための自信を持てるようになる。雫の清々しさが美しい。

できるかどうかはそこまで重要ではない。それよりも、「今の自分にはどこまでできて、どこから先はまだできないのか」それを知ることが力になる。自分の興味を持てることでいいから、頭で考えるだけではなく、どんどん動いてみる。気になる場所があったら、実際に足を運んでみる。気になる体験があったら、実際にやってみる。気になるイベントがあれば、実際に参加してみる。そういう小さなことの積み重ねのなかで、自分のことが少しずつわかってくる。わかってくると、自分の判断で、より良い選択ができるようになってくる。

キャリアというのは、直線的に目指そうと思っても、実際はギザギザするものである。しかし、一見無駄に思える道にも「意味があった」と気付ける日がいつか訪れる。キャリアにおける「遠回り」や「回り道」をネガティブに捉えるのではなく、むしろ「これでいいのだ」と、どっしりと構えたい。

(つづく)

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